〜「農民とともに」No.127〜



八千穂村健康管理

新しく高橋村長が就任
 平成3年9月、新しく高橋秀一村長が就任した。就任に当たって村長はこう述べた。
 「昭和34年に全村健康管理を始めた時は、こんなことをやっている町村はどこにもなかった。当時としては画期的なことだったと思う。永年の健康管理で成果は大いに出ている。私も当然これを引き継いでいくが、マンネリ化にならないよう健診メニューを増やして充実していきたい」と。その言葉どおり、その後徐々に健診内容は充実していった。実直で使命感にあふれた村長だった。
 村長と同級生には、かって衛生指導員会長を務めた井出佐千雄さんや小宮山則男さんがいる。また助役には、以前に指導員を9年務めたことのある油井理一郎さんが選ばれた。健康管理と衛生指導員活動に、さらに追い風が吹いたことはいうまでもない。

青年団の気概を受けついで
 平成5年になって、指導員の4年の任期が来て多くの交代があったが、岩崎正孝さんと井出高正さんはさらにもう一期続けることとし、それぞれ会長と副会長になった。2人とも熱心に取り組んでいた地区ブロック活動と月1回の学習会には、さらに力が入った。

「健康茶屋」での八巻保健師
 岩崎会長さんは、昭和43年当時、八千穂村青年団の団長をしていたが、そのときに「八千穂夏季大学」を立ち上げた人である。当時は青年団活動がさかんであったが、このままでは農村青年は取り残される、なんとかしなければという思いから、自分たちの血となり肉となる学問の場をつくろうということで、夏季大学の開催を思い立ったのである。
 でも、みんな昼間は仕事がある。大学の講座は夜の8時から10時までと設定した。討論形式の講座なので、時には延々夜が白むまで討議が続くほどだったという。当時、講師の1人だった野沢北高校の中島二郎先生は、「高校の教室とは違った真剣さと、若い青年の意気込みがあった」と話している。
 衛生指導員も青年団に入っていた人が多く、ここで勉強した人もかなりいる。指導員たちが今も熱心に学習活動を続けているのは、かっての青年団の気概を受けついでいるからなのであろう。

若々しくピチピチして
 平成6年になって、衛生指導員にとって画期的なことが起きた。新しく八巻好美保健師さんが着任し、それに新しい衛生係(後に係長)として須田芳明さんが決まったのである。この人事が、時にはぎくしゃくとしがちであった役場と衛生指導員との関係を大きく変えることにつながった。
 八巻さんは当時臼田町の保健婦をしていたが、高橋村長と当時の住民課長だった佐々木徳治さんが八千穂村へ引っ張ったのである。「保健婦は若くなくて、更年期の人でいいと言われたので安心して来た」と八巻さんは笑ったが、もう40歳を過ぎていたけど、更年期どころか、見た目は若々しくピチピチしていた。
 当時森智子さんという保健婦さんがいて、夜遅くまで頑張ったり、衛生指導員と一緒に劇に出たりして、皆の評判もよかった。7年も務めたが、なにしろ保健婦が2人しかいない時期が多く、随分苦労した。八巻さんが来て漸く3人になった。
 八巻保健婦さんは明るくて、気さくで、人なつっこい。「衛生指導員というのは半分ボランティアでしょう?だけど、夜、指導員会をやるよと言えば、すぐ皆が集まってくる。そういうことがすごいことだと思う」と八巻さんは率直に感心する。「お互いに仲よくやろうね」というのが八巻さんの第一声だった。

組織は楽しくなければ
 八巻さんも須田芳明さんも、衛生指導員の夜の勉強会には必ず出た。指導員といっしょに話したり飲んだりする機会も多くなった。「会議が終わったあと、俺たちととよくつきあってくれた」と指導員たちは今でもよく言う。

衛生指導員と話す須田芳明さん(中央)
 「組織というのはまず楽しくなければいけない。そこが一番ポイントだと思うね。どんなに立派な組織をつくっても、楽しくなければ3年とは持たない」というのが、須田さんの持論だった。
 さらに須田さんは言う。「行政というのは上からの押し付けだけでは駄目だ。それで一時は住民は動くかも知れないが、長続きはしない。お互いに身近で話ができ、言い合いができなければ、組織は動かないじゃないですか」と。
 今までは、衛生係と指導員とは上と下の関係で、仕事でつき合っているという意識が強かった。それが八巻さんと須田さんの2人が来てから、役場の保健衛生担当と住民という仕事の関係の域を超えて、お互いに友だちに近い関係になった。思ったことは何でも気軽に言い合える。これが衛生指導員活動をいっそう活性化させることになった。

人を巻き込むのがうまい
 八巻さんは誰とでも気軽に話す。村長室へ入っていって、血圧測定しながら「こんなことじゃだめじゃないの」とずけずけ言える人である。
 それに人とのつながりを進めていくのがうまい。人をやる気にさせてくれるような、人を巻き込むのがすぐれているというところが八巻さんにある。「実はそれを八巻さんから学んだのだ」と須田さんは後で述懐する。
 2人が来てから村の保健衛生のやり方が変わってきた。須田さんは控えめに、「ともかく皆は村が好きなんだよ。この村のために皆でやろうじゃないか。ただそれだけなんだよ」と言うのだが。いつの間にか衛生指導員たちも、単に健診業務だけでなく、「一緒に活気のある八千穂村をつくろう」という考えに変わってきた。(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。