〜「農民とともに」No.104〜




八千穂村健康管理
田んぼの中の国際会議
 村の健康管理に取り組んで10年、衛生指導員たちも、いよいよ国際的に活躍するときがやってきた。などというとちょっと大げさだが、実は、佐久病院で第4回国際農村医学会議(会長は当時の若月院長)が開かれることになり、農村視察の案内役をやることになったのである。昭和44年10月のことであった。
 当時は国際会議というと、大抵は東京とか大阪とか大きな都市でやるものと決まっていた。それが長野県臼田町という、こんな片田舎でやるというので日本中が驚いた。農村医学の会議だから農村でやるのは考えてみれば不思議ではないが、当時としては画期的なことだった。
 若月先生がわざわざ会場を佐久病院にしたのは、外国の人たちに日本の農村や農村病院を見てもらいたい、とくに八千穂村の健康管理を見てもらいたいということがあったと思う。だから当然、農村視察は八千穂村と決まった。

外国から80人も参加

中央は若月先生(八千穂村上畑地区にて)
 衛生指導員たちは案内役を頼まれたものの、どう説明したらよいか大いに悩んだ。
 「ドイツ語は患者紹介のために多少は習ったけれど英語はからっきしダメなんだ」「でも、ドイツからも来るらしいよ」「ほんとか。だけど実をいうとドイツ語も忘れてしまった」「じゃあ何も喋れないということじゃない」「はっきりいえばそうだ」「まあ通訳がつくからなんとかなるさ」「だけど、挨拶の言葉だけは習っていたほうがよいよ」などと、打ち合わせ会議では喧々囂々だった。
 この国際会議には、外国からはドイツ、フランス、チェコスロバキア、イギリス、ソビエト、アメリカ、インドなど25カ国から約80人、日本の参加者を入れると、合わせて500人が参加した。
 会議は10月1日から4日まで行われたが、最終日には農村視察が行われた。5台のバスに分乗して、上畑、佐口、八郡、大石、崎田の5つの地区に分かれ、農家を見て回った。

まずコタツに眼をつける
 外国人学者にとって、日本の農村を見るのは初めてである。
 上畑区では、会長のマツッフ教授をはじめ、理事の方が中心。農家へ入るなり、まずコタツに眼をつけた。「こんなふうに座っているんじゃ、さぞ腰が痛いだろう」と早速腰痛症についての質問がとぶ。そういえば、むこうの人は年をとると背中から曲がるが、日本人は腰から曲がるのが特徴。これには座る生活が関係している。
 冬の間はどう遊ぶんだというので、家の人が花ガルタをもってきたら、「これはすばらしい。浮世絵的だ」と妙に感心。

イロリの自在鉤に興味

イロリを囲んで(八千穂村佐口地区にて)
 佐口区へはソビエトの人たちが訪れた。今回の国際会議には英語の他にロシア語が公用語に採用されたので、ソビエトからも大勢参加したのが珍しかった。
 井出佐千雄さんが案内した農家には、大きなイロリがあり、これに上から自在鉤(かぎつるし)がつるされていた。「これに鉄瓶や鍋をかけて、自由に上下できるんだ」と説明すると、とても興味をそそられたようだった。
 ロシア語で「今日は」というのは「ズドラーストブイチェ」と言う。これをふつうは短く発音するので「ズロース一丁!」と聞こえる。事前の勉強会で衛生指導員たちは、この方が実際の発音に近いと教わった。「ズロース一丁!」「ズロース一丁!」。佐口の空に高らかな声が響きわたった。

山の中の水道完備に驚く
 チェコスロバキアの人たちは八郡区へ。百年以上も経つ旧家を訪れ、コタツへ入ってお茶を一杯。漬物をどうぞと勧められ、その匂いにちょっと首をかしげる。
 大石区では、アメリカの学者夫妻が便所についていろいろ質問。ちょうど大石川に張り出して建ててあった家があったので、便を川へ流していると思ったらしい。しかし、別に立派な便所があったのでようやくなっとく。こんな山の中でも、みな水道が完備していると驚いていた。
 崎田区では、花の栽培がさかんで当然農薬を多く使う。農薬中毒はどのくらいあるかとか、防除衣は使っているかとかいろいろ質問がとぶ。
 多くは内風呂になっていたが、一軒だけ外風呂の家があった。これは冬はとても寒いんだと説明しようとしたが、あいにく通訳が見当たらない。とたんに説明係の某君、「アイス、アイス……」と叫んだが、別につららも下がっていないし、みな怪訝な顔。

誇りとやりがいがあった
 村の子どもたちは、外国人の学者をとりまいてはサインをせがみ、せがまれた外国人たちもうるさがらずに気ながに応じていた。サインをしてくれた外国人に、ポケットからクルミをとり出して一つ一つやっている子どももいた。
 とくにインドから参加した黒人の学者は子どもたちに人気があった。この山の中では滅多に黒人にはお目にかからないからであろう。黒人の学者もニコニコと握手を交わしてくれている。ところがある男の子、握手したあと自分の手を開いてジッと見ていたのには、みな笑ってしまった。手が黒く染まってしまったんじゃないかと思ったらしい。
 農村視察のあと、村の中学校の体育館で、地域の人も交えて大交流会が開かれ、衛生指導員たちも参加して大いにもり上がった。当時指導員だった出浦経幸さんは、「指導員たちは国際会議を手伝うことにとても誇りを持っていた。とてもやりがいがあった」と感慨深そうに話してくれた。(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。