〜「農民とともに」No.105〜




八千穂村健康管理
沢内村へ大挙して見学
 健康管理も10年を過ぎて、国保医療費の減少など、ある程度成果は上がっていた。しかし受診率は横ばい状態で一向に上がらない。とくに若い人の受診率がよくなかった。実際、衛生指導員たちは、健康管理のマンネリ化に悩んでいた。ここらで新しい空気を入れ、健康管理のあり方をもう一度考え直そうと、衛生指導員会で沢内村の見学をすることになった。昭和45年秋のことである。
 沢内村は、岩手県の山奥にあって、冬になると3〜4メートルも雪が積もる豪雪地帯。八千穂村と相前後して健康な村づくり始めた村だが、特に乳児と60歳以上の老人の医療費無料化を実施しているということで有名であった。
 視察旅行には、衛生指導員会だけでなく、佐々木村長をはじめ、役場関係者、保健委員も参加することになり、それに佐久病院健康管理部の職員も加えて、1行17人がバスで沢内村に向かった。

「私は命を賭けよう!」

故深沢村長の言葉が掲げられた健康管理課
 険しい山道を越え、長時間かかって沢内村の役場へ着く。早速担当者から、健康管理の取り組みについて説明を受ける。沢内村を語る上で、故深沢村長を抜きでは考えられないとは、担当者の言葉だった。(深沢村長は残念ながら昭和40年に食道がんで亡くなられた)。
 深沢村長が村長に就任した昭和32年当時、沢内村は、あまりにも雪が多く、あまりにも貧しく、そしてあまりにも病人が多い村であった。そこで深沢村長は「生命尊重は政治の基本だ」「住民の生命を守るために私は命を賭けよう」と、生命を守るために果敢な政策を次々と実行に移していった。
 この取り組みの経過を聞いて、保健委員の小山亀蔵さんは、「健康管理の内容の面では八千穂村とは違いがないが、乳児と60歳以上の老人に医療費の10割給付をしているのがすごい。せめて八千穂村でも70歳以上の人に無料化できないか」と早速提案に及んだ。

婦人中心に実践活動
 村の唯一の病院、沢内病院は役場のすぐ隣にある。
 案内された病院の外来には、村民全員の健康管理台帳もおかれていて、保健と病院が直結するしくみができていた。何といっても増田副院長(後に院長)が村の健康管理課の課長を兼ねていること、そして人口5千人足らずの村に保健婦が6人もいて、健康教育や家庭訪問、母子対策などをやっていることにみなびっくりし、これなら予防と治療の連携は上手くゆくねと目をみはった。
 衛生指導員の井出守さんは、「沢内村では、地区の衛生委員に毎月月報を出させて、村の健康状態を報告させているが、八千穂村でも指導員がそのような月報を出したらどうか」と感想を述べた。
 乳児死亡率は地域の健康度を示すバロメーターと言われているが、昭和30年の沢内村の乳児死亡率は、千人生まれたら69人死亡といった高い状況だった。この実態に対して、女性たちが「自分たちの健康は自分たちで守る」と活発に取り組みを始め、若妻学級や婦人学級を各地で月2回以上も開き、子育てや栄養の取り方など、学習と実践を重ねたという。
 この結果、昭和37年に初めて乳児死亡率ゼロを達成し、それがほぼ定着し自信がついてきたと増田副院長が話してくれた。


当時の沢内病院

八千穂村は恵まれ過ぎ
 視察を終わって反省会を持ったが、婦人グループの活動にはみな心を打たれたようだった。
 指導員の渡辺一明さんは、「沢内村では婦人層が主体となって非常に活躍していることに感心した」と述べたし、また井出今保健婦さんは、「沢内村では、地区組織や婦人会、老人会、若妻会、青年団などを活発に利用している。その点、八千穂村ではまだまだだと思う」と反省の言葉を述べた。
 また村民の意識については、トラさんは「たしかに八千穂村の場合、健康に対する意識がまだ欠けているように思う」と認めたが、その理由については、出浦経幸さんは、「八千穂村は交通機関や医療機関に恵まれすぎている。沢内村は交通の便も悪く、かつて無医村だったということで、根本的に環境が違う。これが住民の健康に対する考え方に、大きく反映していると思う」と答えた。
 保健委員の内藤久太郎さんも、「豪雪地帯で保健活動をするのに非常に苦労があると思う。その点、私たちの方がずっと交通の便もよくやりやすい。だから保健活動の大切さがかえってよく分からない面もある」と述べている。

発足当時の気持に返って
 佐久病院の松島医師は、「ともかく健康管理は病院が主体ではなく、村が主体なのだから、八千穂村自身がもっと自発的に、組織的に活動しなければならないと思う。これには村民自身がもっと『健康は自分自身で守らなければいけない』という意識を持って、積極的に村の健康管理の仕事に参加することが必要だ」とつけ加えた。
 最後に佐々木村長が、「沢内村の健康管理事業から、学ぶべき点は数多くあると感じた。すばらしい指導者と協力者がいて、今日まで事業を継続している。八千穂村の場合、医療機関に恵まれすぎていて、やや安易な気持でいた面もある。生命、健康を守るということは、非常に大事な仕事なので、発足当時の気持にかえって取り組んでいきたい」と結んで、反省会は終わった。
 八千穂村にあって沢内村にないものが1つある。それは衛生指導員という組織だ。今度の視察に衛生指導員たちは大きな感銘を受けつつも、自分たちの仕事に大きな誇りを感じたようであった。帰途に着く指導員の顔はいつになく晴々としていた。(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。