〜「農民とともに」No.96〜



八千穂村健康管理
地域の保健活動家として
 若月先生は、衛生指導員のことを「保健アクチーフ」と呼んでいる。アクチーフとはロシア語で活動家ということである。つまり衛生指導員は住民の中の保健活動家として、地域の中へ入り込んで、住民といっしょに健康管理活動を展開する役目があるというのである。かつてのロシアではこういう運動がさかんに行われていた。
 「保健活動家として役目をはたすには、少しは医学的知識も持たなきゃだめずら」と言ったのは役場衛生係の間島さんだった。それじゃあ、衛生指導員の学習会をやろうやということで、毎月1回、役場と病院の会議室で交互に学習会を持つことになった。
 講師は佐久病院の医師や保健婦たちである。早速、寺島医師や磯村医師たちが中心になって「明るい健康な村をつくるために」というテキストがつくられた。

第1期の衛生指導員
 衛生指導員は何をめざしたらよいかという基本的な点から始まって、人体の解剖や具体的な病気の症状や予防についての知識を学ぶようになっていた。規模は小さかったが、ちょうど今実施している「佐久地域保健セミナー」のはしりといった感じであった。テキストはたちまち20冊を超えた。

競争で勉強に打ち込む
 病気としては、農村で多かった脳卒中、胃の病気、腹痛、貧血、がん、救急処置などがとりあげられた。寺島医師は、「われわれは常に村にいないし、衛生指導員は、地区で住民といちばん接しているわけだから、いちばん住民のことが分かる。住民の症状を聞いてちょっとおかしかったら、すぐ出浦医師のところや病院へ送ってほしい、そのために大雑把でよいから基本的な知識を身につけてほしい」と強調した。
 学習会は大体夜にやったが、衛生指導員は自分のふだんの仕事を終えると、バイクを飛ばして会場に集まってきた。早く知識を得ようと、衛生指導員は競争で勉強に打ち込んだ。

病名はドイツ語で話す
 ここで問題になったのは病名のことである。衛生指導員は地区で患者が出た場合、それを医療機関へつなげる役割もする。その場合病名を表に出してはいけない、それは他人には秘密にしておく必要がある。つまりプライバシーを守らなければいけないということであった。
 これはとても大事なことなので大分議論したが、結論として、病名はドイツ語で話そうということになった。そこでドイツ語の勉強が始まった。例えば、急性虫垂炎は「アッペ」、がんは「カルチ」、胃は「マーゲン」、手術は「オペ」等々である。
 やがて病院との連絡には、衛生指導員は得意になってドイツ語を使うようになった。「あの人、アッペだったね」とか「カルチでオペしたけど、経過はよいようだ」とか。しかし住民には悟られないように注意した。ときどき住民から「カルチって何だ、おい」と聞かれると、「そんなことは、おめえたち知らなくてもいいんだ」という調子だった。

検診を終えて
 衛生指導員に病院のカルテを見せて、どんな病気かという実習をしたこともある。ところが、指導員の渡辺一明さんは、「ドイツ語どころか日本語で書いてあっても、医者の字は読めねえ」という。たしかにそのとおりだった。医者自身、他の医者が書いた字が読めないこともあるのだから。この実習は失敗だった。

住民の信用が高まる
 この学習会は、衛生指導員に大いに評判はよかったし、また役に立ったようだ。
 後に衛生指導員会長になった小宮山則男さんによると、指導員活動のなかでいちばん印象に残っていることは、この夜の学習会だったという。とくに農村に多い高血圧、心臓病などの初期の手当法を図解で説明してもらい、これが検診活動に大いに役立った。
 井出守さんは、村に保健婦が1人しかいなかったので、保健婦の下ばたらき役になって担当地区をとび回っていた。ある家で腹が痛いといって温めていた人がいたので、これは学習会で聞いたとおり、盲腸(急性虫垂炎)かもしれないと思い、すぐ病院へ行けとすすめた。病院で検査をしたところやはり盲腸で手術をした。そういう人が2人ばかりあって、それからは衛生指導員ということで、信用されるようになった。
 このようなことで、具合が悪くなったら、まず衛生指導員のところへ行けということが、各地区では当たり前になっていった。

名刺をつくって紹介
 病人を紹介するのに、役場では衛生指導員の名刺をつくってくれた。これは、どの衛生指導員から紹介されたか分かるようにというためであった。
 衛生指導員はもちろん診断はできないけれど、こういう症状があるからと名刺の横に書いて病院へ送る。言わば紹介状で、それを持っていくと、病院では優先的に診てくれた。これは急病の場合には村民にとても喜ばれた。まだ消防署などない時代に、指導員は当時の救急医療の一端を担っていたわけである。
 地域の中での衛生指導員の役割は次第に大きくなっていった。単に年に1回の健康検診の人集めをしたり、手伝いをするというだけではなく、保健婦を支えながら、住民のふだんの健康上の相談役となっていった。これが医療の専門家ではなく、地域の住民から生まれた活動家であるということに大きな意味があった。学習会の大きな成果の一つといえようか。
(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。