〜「農民とともに」No.97〜



八千穂村健康管理
寝ている蒲団に霜がつく
 佐久の寒さは格別で、寝ている襟元の蒲団に霜がつき、茶碗の水も凍る。洗濯物は干す前に瞬時に凍りつき、ぴんと立って曲がらない。健康どころか性格や趣味などの文化も、歪むのではないかとさえ思えてくる。
 この寒さと身体との関係に着目した若月先生は、動物実験で寒冷の影響を科学的に分析し、暖房の必要性を訴えた。そこで昭和36年の冬から、農家にストーブを使ってもらい、暖房の心身への効果を調べることになった。
 対象地区は、衛生指導員の井出佐千雄さんがいる佐口地区が選ばれた。佐口地区の86戸の農家のうち、構造が似通っていて、ストーブを使う15戸と、何もしない対照の15戸の家を、佐千雄さんや区長さんに推薦してもらった。
 このストーブ実験には、なんとしても衛生指導員さんに指導と協力をしてもらう必要がある。「この前若月先生が来て、やり方や準備の指図などをしてくれたから、俺も本気でやらなきゃと思っているだよ」と、佐千雄さんから頼もしい答えが返ってきた。

事前に家の間取り調べ

冷凍パイプをめぐらせての
兎による寒冷実験
 そこで佐千雄さんが案内して、健康管理部の井出課長や保健婦たちが名簿と地図の家を確かめながら各家の事前調査を始めた。役場から借りた各家の間取り図を参考に、寝室や居間、食事の場所などを聞いていく。土間やトイレ、風呂、居間の室温も測定する。
 零下五度から10度という厳寒の中で、どの家も北側の部屋は障子1枚で外と隔てられているにすぎず、寝室もたいがいそういう北側にあった。夏場は蚕を飼う大きな家、風呂やトイレは母屋から離れた外にあって風がよく入る。
 「昔から冬は寒いのが当たり前、いろりとコタツで暖まればよい」と誰もが思い、室温を上げるという発想もないところへ、石炭ストーブがやってきた。
 はじめは躊躇した家もあったが、石炭も配ってくれるなら悪い話ではないし、面白そうだと、該当農家はみんな引き受けてくれた。ストーブをたく部屋は、目張りなどですきま風をなくし、熱が逃げない対策をし、室温測定や生活の記録をしてもらうことにした。

北海道式ストーブを入れる
 ストーブは「北海道式炊飯兼用貯炭式」で、一度火がつけば夜通し少しずつ燃えている。翌朝は石炭を追加するだけで燃え続け、ナベをかけて煮炊きもできるという、北海道ならではの優れたものだ。
しかし、石炭の扱いに慣れない村人には、火の焚き付け方が難しい。それに、いっぺん夜中に火を落としてしまい、早朝改めて石炭をたくというような面倒なことをしていた農家が多かった。
 あるおばあさんは次のように言う。「ストーブ屋さん。このストーブダメだから薪ストーブに代えてもらえねえかい。おらちには薪がたくさんあるし、薪だとコタツの火もとれるし、第1石炭ストーブは火がつきにくくて、朝と夜2回も火おこしをしていやす」。
 とうとう井出課長は「ストーブ屋さん」にされてしまったが、それではと、佐千雄さんの家に連日泊めてもらい、佐千雄さんといっしょに石炭のたき付け方などを指導して回ることにした。保健婦たちも毎月2回は佐口に通い、生活の様子や室温記録などを見せてもらった。

室温10度は画期的

ストーブを囲んで家族が集う
 しかし、部屋の温度はなかなか上がらない。「おばあさん、ストーブの燃え具合はどうでやすかい」と聞くと、「実は、おじいさんに消しとけと言われてとめやした。10度もあるし、あまり暑いと具合が悪くなりやすでなあ」との答え。
 石炭は月平均6カマス分配され、1日中焚いて部屋の中を常に暖めておいてもらいたいのだが、厚着のくせもあって、よく燃え出すと暑すぎると言って消してしまうこことがしばしばだった。「ストーブを入れない農家の日中室温が零下2度から4度だから、10度はまだ低いけれども、画期的な暖かさだ」と佐千雄さんも言う。
 一方、ストーブを入れない家からは不満が出た。対照農家の家は何もしないわけだから、以前と同じく寒いままである。自分の家も同じようにストーブを入れてくれという。しかし実験を始めたのに、対照農家をすぐにやめるわけにもいかない。これには佐千雄さんもさすがに困ったようだ。

暖かいっていいなあ
 厳冬期を過ぎた3月の訪問では、「今年の冬は本当に助かりやした。仕事ははかどるし、炊事が楽になってうれしかった。一番助かったのはヒビができなかったことでやす」とか、「肩こりもなく、農協のトクホンは買わずじまいでやした」などと、お母さんたちのうれしい答えが返ってきた。「今までコタツで食べていた食事も、ストーブ囲んで楽しく食べれるし、部落の寄り合いには、ストーブの家が選ばれているそうだよ」と、井出課長も情報を集めてきた。
 実際どの家にも煮物のナベやゆげの立つやかんがかかっていて、ストーブ生活の快適さが見えていた。
 アンケートをまとめたところ、足腰の痛みが取れ、血圧値の改善や風邪など病気になる人が少なくなっている。そのため医療費もストーブを入れない家に比べて減っている。夜なべ仕事がはかどる、みながその部屋に集まり団欒が持てるなど、心身に健康をもたらすことが示された。
 実験が終了して、対照農家をはじめ他の農家もストーブを入れる家が多くなった。暖房がとても体にいいということが、実感として分かってきたのだ。この実験はまたとない実践的な教育となった。
(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。