今年はやちほの家でもお墓参りとお盆中も通常の利用者でにぎわった。盆と正月ぐらいは、子どもたちが帰省して、親とにぎやかな時間を過ごすのが慣例化していた時代は、どうも昔のことになりつつある。親の顔を見ず墓参りだけに来たとか、昼間に数時間顔を出してすぐに帰ったとか。もちろん社会が気忙しくなり、迎える側と帰省する側の問題や優先度が多様化しているばかりでなく、家族・生家・先祖への意識の変化に加え、家族内の調整能力の低下や関係障害が背景に潜んでいることも少なくない。とかく認知症による生活障害や身体障害が顕在化してくると、関係はもっと遠のいていく。   
 反面、年老いた親は誰でも常に、子どもが帰省するのを待っている。ここ数年会っていなくても、今年こそは来ると待っている。でも、その待ちこがれている気持ちを直接子どもに伝えようとはしない。盆や正月ぐらいは親の顔を見に来いとも言えない。自分たちは困っているのに、とっても淋しいのに、そんな気持ちは、息子の大学や重役話など、現実でない繕い話にすり替わっていくこともある。「お盆には子どもは来たかい」「ああ来たよ」「いくつ泊まったの」「3晩かな」「そりゃ良かったね」半日で帰った息子たちは、いつ聞いても、3晩泊まっていったことになっている。
 何年も親と疎遠な状態が積み重なった家庭の多くは、親の老いや生活が見えなくなっている。もちろん生活は、見ようとしなければ見えないものであり、生活の中の行動や考え方の癖は、関わっていなければ無論わかるはずがない。しかも、生活は常に個別的で、毎日の連続性が求められる。だからこそ、盆か正月の1週間くらいは、それぞれの親とじっくり過ごす帰省運動を、帰省が無理なら、安心コール運動を町ぐるみで展開するのも悪くないと思う。ともかく、お年寄りたちはいつでも、実の子と孫の来るのを待っている。
 老いによって起こる心の不安は、特に生活障害に直結してくる。年寄りには、気を揉む、気を遣うことが不調の兆しになることが多い。特にお金や各種の通知、薬など気になり始めたら、こだわりが強くなり、行動は多動化する。不安が強まった証拠である。こういう時は、誰か頼りになる人に側にいてくれることを望んだり、誰か手助けしてくれる人を求めてくる。電話をかけまくったり、近所に出歩いたり、何度も病院に行ってしまったりと周りが振り回されるだけでなく、本人も疲れてしまう。「大丈夫だよ」と安心を保障してくれ、しばらく気にかけてくれる人がいると、数日で落ち着いてくる。小さい頃から、大切な関係を築いてきた子どもこそが、良き理解者であり、良き支援者であったならば、より生活はしやすい。
 多くの人は、子どもの顔さえわからなくなってしまうような認知症には、絶対なりたくないと言うが、日常的に親子関係が築かれていれば、表現こそできなくても、あるいは夫や妻などに、間違って認識されはするものの、自分にとって馴染みあった大切な人であることはちゃんとわかっている。現に日頃、私たちには見せないような、優しい親の顔に変わるのである。