ずっしり垂れた黄金色の稲穂を次々に波立たせて、秋風が通り過ぎていく。今年も豊作である。目の前に広がる風景を横目に「あれは鯉のぼりかい」「そうらしいんな」と年寄りたちが話している。道々の華やかな花に少女のように反応し「赤いさつきが綺麗だね」「綺麗だいんな」と同じ波長の穏やかな会話が続く。助手席に乗ったじいちゃんは、相変わらず今日も微動だにせず、1点を見つめ座っている。後ろの声も周囲の景色も何1つ入らない。狭い車の一室は、連れ添う人でその日の雰囲気も話題も違う。
 時には独占した空間にもなる。「お宅は何処ですか」と年上のおばあちゃんによそ行きの言葉で話しかけている。「私は天神橋を渡ってとっつけの…」言いかけた話が途切れ「や〜だ私もだよ。何処かで会ったことがあるよ」と。週に2回会っているのに会話はいつも新鮮である。独占話のばあちゃんのスイッチが入った。「家を建てた時は一軒しかなくて、ランプで暮らしたよ。物騒だからと、木を植えたら、今になって手間が掛かって大変だよ。畑や庭の草むしりは全部私がやるだに。男衆なんか何にもやらねぇわい。男衆の姑さんはとても意地悪な人で…」と話が続く。
 独占話をするばあちゃんには子どもがいない。嫁になってから、姑と小姑に散々いびられたせいで、体を冷やし腎臓を悪くしたのが原因で子どもができなかったという。「山から里へ嫁に行けばさぞかし楽ができると思ったらとんでもねぇわい」と。何でも若い頃は「百貫デブ〜百貫デブ〜」とその一節を必ず歌ってみせるのだが、かなり肥っていたらしい。嫁にきてからは食事も摂れず、40キロまで痩せ細り、見るに見かねた跡継ぎだった夫と家を出たのだという。そのいきさつを、カセットテープを再生したごとく、一言も漏らさず繰り返すのである。
 それでも自分話が一端終わると、周囲の景色に我を取り戻したかのように「今は女の人も運転ができていいね」と何度も感心したように言う。「迎えに来て送ってもらって、1日遊ばせてもらって、家に帰れば…」と、年上のばあちゃんが反応したのもつかの間、独占話のばあちゃんは「家」という響きに即座に反応し、年上のばあちゃんの言葉をジュッと音を立てて消し止めた。「お宅の家は何処です」といつの間にか、よそ行きの言葉が始まった。またばあちゃんのカセットの再生が始まった。 独占話のばあちゃんの口調は強く、否定言葉が多い。頬を紅潮させて風呂から出てきた仲間に「こんな昼間に風呂になんか入るもんじゃねぇわい。私は毎晩家で入っているよ」と。でも独占話のばあちゃんの爪も頭髪もやちほの家でようやく綺麗になった。洗った下着に自分の名前があると、風呂に入ったことはとっくに忘れ、「こんなところで脱いだりしないよ」と言い放す。盛りつけの時は必ず「多すぎだ食べすぎだ」とお節介を焼く。「いらない」と言っては「美味しいね」と良く箸が出る。独占話のばあちゃんは、小柄でおとなしい年下のばあちゃんの世話を特に焼きたがる。「どうして俺ばっかりいじめるだい」と、小柄のばあちゃんが時には爆発するが、独占話のばあちゃんは気にしない。「同じことばかり言って」と、小柄のばあちゃんは小声で小さな抵抗をするか、大概聞こえないふりをして自分を守っている。