奥さんは肝臓を患って20年あまり。体のだるさや食欲不振・熱発などの体調不良で大概1年に3〜4回、通算半年以上入院することもあった(加齢に加え安定しない体に対する日々の治療と、単調な入院生活や家族からの解離は、奥さんの心を混乱させ、しばしばせん妄を起こし、入院治療の継続が困難な場面を生じさせていた。
 近い将来心身の低下から来る父さんの介護負担や生活障害を想定し、関係を持ちながら、サービスのイメージづくりを提供していく。相談もサービスも介護者や本人が必要と認識したときに初めて具体化していくからである。さらに利用の継続と安定した介護生活を保障していくためには、利用開始の3カ月位までにどれだけ良い関係を作りながらスタートできるかということ、そして1年、2年とサービスを利用し続けるためには、「本人が通所日を楽しみで待てる。適所日までがワクワクした気持ちで待てること」が張り合いや幸せにつながっていくからである。日常繰り返される当たり前の生活への見通しと保障が、本人の心身の安定・介護リズムの安定に繋がり、安心というサイクルを生んでいく。
 やちほの家が開所して半年後、奥さんは4年の歳月を経てやちほの家へやって来た。4年前に利用した他の宅老所の中断が尾を引いていた。
あれから3年、来るたびに娘のように大きな口を開けて笑い、やちほの家で漬けた梅、野沢菜や大根漬けを「美味しいね」と上下の入れ歯の奥をコリコリと噛み合わせて食べてくれる。「だまされた」と始終恨まれていた初めの頃に比べ、今では過3回も通所できるようになった。そして今まで1回も休むことなく、しかも入院もしていない。
 しかし、最近奥さんの心身の変化に、定期外の往診も数回提供され要観察状態となった。加えて父さんには、食事の介助や失禁による介護の手間や移動の介助が増えた。しかも毎日少しずつ変化のある対応を求められた。「昨夜は参ったよ。12時から寝かせてくれなくて。今朝までの尿と便は」と毎日父さんからの丁寧な報告を受けるにつけ、私には、奥さんの病状の観察と父さんの介護負担の軽減と新たに発生した父さんへの介護方法の相談と不安への支援が求められているように感じた。そこで1週間宅老所で様子を見させてもらうことにし、本人もお父さんも快く了解し、安心して任せてくれた。
 父さんは、信頼している私たちにさえも自らSOSを出す人ではない。だって長い間奥さんを自分の手で看続けてきたという自信がある。父さんからのSOSはその時点で緊急事態なのである。だからこそ、意識的に気にかけ、声かけしていく心の配慮が必要であり、ケアを重度化しないために必要な調整である。「そんなに大変だったら言ってくだされば良かったのに。入院も手続きとれましたのに。定期外のサービスはね?利用料はこれだけ増え」とケアマネが話を進める。
 日頃から「できるなら入院せず家庭で可能な医療をして欲しい」が前からの父さんの意向のはず。すでに医師の緊急訪問をケアマネは把握済みのはず。ケアの重度化予防が一体誰のために繋がっているのか。「町も介護保険料の負担が大きくなって困るわけだな?」父さんが言う。関わり方で制度への誤解を生みかねない。援助の対象は誰なのか、援助の目的が何なのか現場が揺れている。
 マネージメントはそのときその場で必要と思った人が動いてきた。長い時間をかけ関係を構築してきたことでサービスに向け心と人が動いてきた。いのちも生活もご本人のもの、長年自信を持って積み重ねてきた家庭と家族の中で人生の一部分である介護という切ない弱い部分に、私たちは関わっている。