じいちゃんは、毛細血管が浮き出たような赤ら顔に、小柄な体にベルトが二重に巻き付くような、か細い腰つきをしていた。今や3件までに減ってしまったたばこ栽培農家のひとつだった。収穫時には、じいちゃんの背丈の倍にもなる葉をつみ取って乾燥させ、12月初めに長野へ1晩泊まりで納品に行くと、じいちゃんの1年分の仕事が終わる。
 じいちゃんが倒れたのは、その年の納品が終わって一段落した矢先だった。普段無口で無愛想で短気な上、どちらかというと人との付き合いが不器用なじいちゃんにとって、面倒な会合や理屈はもちろん、都合の悪いできごとは、母ちゃんに大声を上げてその場を納めてきた。そして大の医者嫌いでもあった。じいちゃんは、日常的に酒とたばこをこよなく愛し、一升瓶と湯飲みと灰皿と枕をセットに定位置の横座に座わる。こじんまりした赤ら顔に細い目の回りを更に赤くして、小さい体を丸めてごろんとなる。そんなじいちゃんの入院は、半身の動きと呂律が回らない状態になってから丸一日過ぎていた。その間「そのうちに治る」とばあちゃんに啖呵を切り続け、結果的にじいちゃんの嫌がっていた救急車での搬送という形になったのである。
 入院後、肺炎や下痢でじいちゃんの病状が安定しなかったことに加え、体力の低下と関節の拘縮の進行とともに、リハビリに伴う痛みにじいちゃんの協力が全く得られず、思うようにリハビリが進まず、入院も半年を超えていた。その間、じいちゃんの言語障害は元来の無口に一層ブレーキをかけ、発語や発声の減少と重度な片麻痺を残した。特に麻痺側の膝関節の拘縮と尖足は移動時の介助負担の増加を招き、じいちゃんに痛みと体の不自由さを一層意識させてしまっていた。
 不自由な病院生活に強まる、じいちゃんの帰宅欲求とは裏腹に、家での介護にばあちゃんの覚悟が揺らいでいく。じいちゃんは職員に懸命に繕う反面、ばあちゃんには遠慮なく、鬼のような顔で辛く当たる。ばあちゃんの中にある長きにわたって張り詰めてきたじいちゃんへの奉公心が、プツンと切れていくような気がした。その後、家屋の大規模な改修を理由に老健施設へ移ったじいちゃんが、自宅へ戻ったのは翌年の秋頃だった。
 2〜3カ月もするうちにじいちゃんの心身は安定し、板にこびり付けたようなばあちゃんの奉公心が何とかじいちゃんの介護や生活を支えていた。そんな矢先、元来の酒好きで我が儘なじいちゃんの癖がばあちゃんを苦しめ始めた。ばあちゃんの表情は見る見るうちに硬くなり、介護や生活に歪みが生じていった。そんなある日、じいちゃんは突如一滴の水も口にしない行動をとった。今日で4日日。さすがに唇は乾き、乾燥した短くて荒々しい言葉が枕元で繰り返される。「俺はこれでいいんだ、これでいいんだ」と。何を聞いても、唇を一文字に結んだまま駄々をこねるように不規則に首振って聞く耳を持たない。頻回に家族会議を開いて密かに、そして仕方なく腹をくくる「覚悟」という準備をする。時間を追うごとにじいちゃんの顔の皮膚は鱗のように白く浮き上がり、荒呼吸に加え開眼もなく尿もなく、顔が頻回に歪んでいく。我慢の限界は近い。そして、1週間を迎えようとした夜「父ちゃんごめんな」の一言が張り詰めた空気を打ち破ったばかりでなく、じいちゃんの喉ごしをゴックン、ゴックンと音を立てて何度も胃袋へ吸い取られていく水を生んだ。