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 佐久病院で初期研修医から世話になって今年で4年目、他の同期たちが「地域医療のメッカ」である佐久病院を目指し、集まった中で、自分はただ「天気と人のいい田舎の病院」という印象につられて佐久病院に辿り着いた。そして、今はフライトドクターという貴重な経験とともに鋭意外科研修中である。

 さて、自分の大切な先輩のひとりにモハメド・アリ・ヤマン(仮名)という元シリア人がいる。彼は立派な髭を蓄え、北関東訛りに強引に津軽弁をまじえた日本語を流暢に操り、わかってもいないのに使う“なるほど〜”が口癖だった。
 彼は佐久病院のことを馬車で健診に行く病院と認識していた。私が佐久病院に入職すると伝えた晩は、馬の強さと恐ろしさ、そして「にっ」と歯をむき出しにして笑ったときの愛らしさ、そんな話を酒の肴に一晩中飲み明かした、そんな人だった。翌朝、毎日剃っているという髭は遠くからでは顔の色が変わって見えるほど、成長していた。
 そんなモハメド・アリ・ヤマンに先日会えた。

 筆者(以下筆)「お久しぶりです。お元気‥そうですね。髭も」
 ヤマン(以下ヤ)「おう、まんず元気だ。髭は今朝剃ったっつーの。そういやこの前旅行さ行った時、帰りの飛行機でおめぇにたまげて似た坊主頭見つけてさ、マジ声かけそうになったべや。頭の形とか当てにならんね。メガネかけて無かったから何とか…」
(中略)
「んで、なんだ。佐久はどんだんず?(どうだ?)」
「あ、はい、馬車はさすがに出してないです。懐かしいですね、馬の話」
「へ?ウマ?」
「はい、佐久病院に決まった報告に行ったら、話してくれたじゃないですか」
「なるほど‥。そったらこともあったなー」
「あと、僕ドクターヘリも乗ってるんです。すごいですよ、時速200qで、埼玉まで30分ですよ。景色も見たことないし、雲の上の富士山が見えるんですよ。線対称の裾野が本当にきれいで、この世のものとは思えないほど…」
「あの世を近くに感じることもある、と」
「縁起でもないことを言わないでくださいよ」
「しかしヘリコプターって、あれはひでぇ乗り物だべ。かちゃましくて、揺れて、たまげた風で砂塵がとんでもね」
「中は快適ですよ。ヘッドホンつけて無線でしゃべるから、エアーウルフかトップガンかって感じです。天気が良ければ揺れなんてほとんどないですよ」
「落ちんでねぇの?」
「真っ逆さまってことはないみたいです。不時着の時の対応みたいのはしつこく教えてくれますけど。でも道路なんて、たくさん自動車がいて、ルールを守らない人もいる、実際に年に事故で数万人もなくなっている。よっぽど空の方が快適で安全だって言ってましたよ」
「なるほどー。ほんでも、おめぇんとこはわざわざヘリコプターで迎えさ行かねぇと患者いねぇの」
「違いますよ。救急設備を整えて、急患のとこに飛んで行くんですよ」
「なして?やっぱり他に患者こねぇから」
「いますよ、たくさん来ますけど、『防ぎうる死』っていうのが外傷には多くて、その死を防ぐのにドクターヘリが有効らしいですよ」
「わいはー(ありゃまー)、医者が余っちゅーの?」
「余っちゃあいないですけど…」
「へば(じゃあ)、ドクター減りだ」
「うまいこといってどうするんですか。僕の話わかってくれました?」
「わかった、わかった、要するにおめぇんとこは相変わらず、馬車で患者探ししてるってことだべ」
「…なるほど」
 ちなみに私の口癖はこの人のせいで“なるほど”になった。
 髭の彼は相変わらず大してわかってくれなかったが、「ヘリで現場に向かうこと」と「馬車で健診に出たこと」の共通点に気付かせられた。
 今では馬車の上の松島松翠先生と自分を重ね、勝手に空の上で地域医療している気になっている、それも髭の彼のおかげだ。



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