〜「農民とともに」No.129〜



八千穂村健康管理

タラの芽って何の芽?
 八千穂村と佐久病院との交流の場として、「タラの芽会」という集まりが毎年持たれているが、このことについて少し触れておかねばなるまい。それを持つようになったのは、ちょっと古くなるが次のようないきさつがあった。
 山間部である松井区や大石区の健診では、夕飯時によくいろいろな山菜料理がいただけた。衛生部長さんは、「これはタラの芽だ。幹はトゲがあって採るのに大変だが、春一番の出たての芽は柔らかくて旨いんだ。たくさん採って塩漬けしておいて、お客さんが来たときとか正月などに、塩抜きして、こうしてゴマ和えなんかにして食べるんだ」「これはウドだよ。ぜんまいもあるだろ」などと紹介してすすめてくれる。聞けば、春のうちから冬の健診に向け、たっぷりと確保しておいてくださっている貴重なもの。
 昭和40年代の私たちの暮らしには、山菜採りなどのゆとりもなく、それまで食べたこともなければ、生の姿も知らなかった。それで興味深くあれこれ聞きこむことになって、ついに誰ということなく、「今年の春はみんなでタラの芽採りをしよう」ということになった。

健診の反省会を兼ねて
 それがきっかけとなり、役場、健康管理部、衛生指導員と、大石区や松井区、八郡区の衛生部長さんなどで、ひと冬の健診のご苦労さん会を兼ねた自然に親しむ交流の場「タラの芽会」となった。

爽やかな山の風に吹かれつつ
 まずみんなで手分けしてタラの芽を採りにいく。大石区からかなり奥まった静かな駒出池のほとりに荷を下ろして、造林小屋のあたりまで山道をたどる。トゲだらけのタラの木にも驚いたが、Yの字の形に工夫した木の枝で、トゲの幹をたぐり寄せて、芽が出たてのやさしい形のタラの芽を、難なく採っていく衛生指導員らの、手慣れた名人ぶりにも驚かされた。
 女性たちがトゲに引っかかれてキャーキャーとタラの芽に気を取られているうちに、うその口区の衛生指導員古屋光信さんは、いつのまにか「ほら、ワラビとコゴミもいい時期だよ、病院のおみやげに持っていけや」と、どっさり抱えて森の中から出てきてくれたりする。あのゼンマイみたいなシダの芽がおいしいコゴミだということも初めて知った。
山の空気と天ぷらと一足先に天ぷらの準備をしてくれていた、役場の衛生係佐々木房子さんたちの所に集まって、いよいよ収穫物をいただく番になった。大鍋にたっぷりの油に、採りたてのタラの芽やウドの葉、コゴミなどを粉にくぐらせてどんどんと豪快にあげてゆく。そのほくほくとした山の味は、身も心も浄化してくれる。まさに「山の味」のおいしさだった。
 でも本当は、「こんなに大きな葉になっているのを採ってきて」と、困りながら揚げたと笑い話にされたりした。男性軍はジンギスカンに取り組んで、さかんに焼けたのをサービスしてくれる。山歩きの後のビールのうまさと相まって、青い空のもと、健診での失敗談などに花が咲いた。
 そして、運転免許を取りに山梨に泊まり込み、2週間で取ってきたなどと、井出佐千雄さんが、その時の顛末をおかしく披露してくれて、「じゃあ、オレもそこに行く」と身を乗り出して聞く指導員がいたり、最近できた村の工場の仕事の様子や、近くにスキー場ができるといった話を聞くチャンスになったりする。何かの力で村が変わっていく様が感じられた。

自由な触れ合いの良さ
 また、「あのとき保健婦さんが、洗剤を止めて石鹸にしたらどうかと言ってくれて、すっかり手の荒れがなくなって良かったですに」と、衛生部長さんの家のお嫁さんが手を見せてくれて、何年か前の健診でのことを確認できたりすることもある。

ずらりと並んだ衛生指導員の面々と出浦課長(左端)
 健診や報告会では、そのことに追われてせかせかと時間が過ぎてしまうばかりで、本当の交流とはいえず、こうした自由な触れ合いこそ、みんな仲間といった連帯感も醸し出され、理屈を越えた交流の重要性が実感される。
 やがて八ヶ岳の空が真っ赤な夕焼けとなり、みんなで輪になって「朝霧晴れて〜」と病院の歌を歌い後かたづけをするのだが、村の人たちの豊かで優しい包容力に包まれ、心から癒されて解散しがたい思いが募ってくる。

ソフトボール大会も
 やがて、もっと多くの職員が参加して、毎年恒例にしていこうということになり、健診に係わってもらっている院内各科に呼びかけ、医局や研修医も参加するようになった。役場からも村長さんや助役さんも見え、総勢40人を越える大交流会になった。
 昭和50年代には、午前中は松井のグランドでソフトボール大会で汗を流してから、山菜採りをし天ぷらに取り組むといったパターンが定着してきた。
 指導員の上手なピッチャーぶりや、村の係の方が良く打てる野球人だったといった、今まで知らなかった側面が知れて、これもとても楽しい交流である。まあお蔭で自分たちの運動神経の弱さも披露することになったのだが、似たような人が何人かいると、これもまた仲間意識が強まるから、捨てたものではない面白さがある。大らかな昭和の時代ではあった。
 現在では参加者は100人を越え、会場も山ではなく、平地の老人福祉センターの横に移ってしまったが、ちょっと残念な気もしないではない。
(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。