〜「農民とともに」No.122〜




八千穂村健康管理
健診後の「うどん会」
 「激動の4年間」は衛生指導員だけに限らなかった。ちょうど同じ頃、健診を担当していた佐久病院健康管理部にも、激動の嵐が吹き荒れたのである。といっても衛生指導員のそれとは直接の関係はない。健康管理部の激動の嵐は、「うどん会」が発端だった。
 当時、八千穂村の年に1回の健康診断は、23もある各区を回って行われていた。当時は勤め人も多くなっていたので、その人たちの受診の便宜をはかるために、受け付けは午後6時ごろまで延長していた。従って健診が終わるのは大体午後7時ごろになる。
 その後で、衛生指導員や区の役員、婦人会、役場の担当者、病院の健診スタッフなどが、健診の反省会をかねて、いっしょにうどんを食べ、一杯やりながら交流会を持っていた。これが健診後の「うどん会」である。そこは時として村民の「本音」が出る場でもあった。それだけに話がはずみ、つい遅くなることも多かった。

うどん会廃止の提案
 事の起こりはこうである。

病院と八千穂村の合同会議
 昭和61年の11月に開かれた佐久病院と八千穂村との健康管理に関する合同会議で、病院保健婦が、恒例になっていた「うどん会」をやるのは止めたらどうかと提案したのである。その理由は、「うどんをつくるために、区の婦人会の人たちは、その準備や後片付けも含めて、夜遅くまで大変ご苦労している。その負担をできるだけ減らしたい」というものであった。
 そのときはあまり議論はなかったのだが、衛生指導員たちも区の役員も、区の負担がそれほど大きいとは思っていなかった。
 後で高見沢さんが、こう述べている。「それほど大変ということもなかったね。まあ年中行事のようなもので、それぞれの役が回ってくれば、今日はお手伝いに行く日だということで、交代でやっていたから。それに費用は村から出ていたし。大事なのは、病院の先生方や健診班の人といっしょに話し合えることだね。婦人会の人も、ふだん疑問に思っている病気のことなど、いろいろ聞くチャンスだものね」と。区にとっては、健診後のうどん会は楽しみにしていた面もあったのだ。

若月院長大いに怒る
 若月院長(当時)は、合同会議でじっとそのことを聞いていたが、その場では黙っていた。村長以下、村の人も多数出席していたので遠慮していたふしもある。しかし、数日後、足取りも荒々しく、健康管理部へ現れた。
 室内をさっと一瞥したのち、奥のコーナーのテーブルに陣取るや否や、「幹部たちはここへ集まれ」と呼び寄せた。松島部長、元木課長、横山保健婦長(いずれも当時)が3人並んでその前に坐る。当時主任だった飯島郁夫さんは、どうしたよいかとモジモジしていると、「君もそこへ坐れ」と一緒に坐らされた。
 そして開口一番、「何だ、この間の提案は!これで健康管理部もダメになった。運動精神がなくなった。君たちはとうとう健診屋になりさがったか」と大声でどなりつけた。同じ部屋にいた他のスタッフも一瞬びっくりして顔を上げる。若月院長は、保健婦の提案の本音が婦人会のことよりも、「うどん会」をやると、保健婦自身夜遅くなってとてもつらいからだということを、すでに見抜いていたのだった。
 たしかに、区にとっては年に1度のことかもしれないが、病院や役場の保健婦は健診の3カ月の間、毎晩夜遅くまで出なければいけないということはある。だが「うどん会」は、住民といろいろ話し合えるまたとないチャンスだ。それを切り捨てるなどというのは、運動精神はどこへ行ったのかというのである。

健康管理部批判が続く
 次第に巡回健診に慣れてきた職員には、できるだけ「合理的に」仕事を済ませて、面倒なことを起こさないで過ごそうという風潮も一部生まれていた。健診が終わればできるだけ早く帰りたいと考えている職員もないではなかった。その官僚化を若月院長は叱ったのであった。

お年寄りと家族とともに花見会
 若月院長の健康管理部に対する批判は、その日だけにとどまらなかった。あらゆる機会を通じて行われていった。
 ある日の監査の講評の席で、病院幹部が4、50人集まっている面前で、たまたまそこに出ていた飯島郁夫さんは若月院長から一喝された。「君たち健康管理部はなんだ。すっかり官僚化して健診屋になってしまったじゃないか」。出席者も監事もびっくりして若月院長の方を見る。「そんなことで健康管理ができると思うか」と、若月院長の叱責は止まることを知らない。監査の講評が終わってからもなおそれは続いた。漸く終わったのは夜11時を過ぎていた。

お前たちの目は死んでいる
 そういうことがあって、健康管理部では、62年から、毎年必ず若月院長から年頭挨拶として講話をしてもらうことを決めた。しかしその席でも毎年、健康管理部に対する批判はずっと続いた。
 平成4年の途中に健康管理部に入り、平成5年の年頭挨拶に初めて出た井出真一さんは、若月院長がその集まりで、まず最初に「お前たちの目は死んでいる。やる気があるのか!」と言われたので、度肝を抜かれたという。若月院長の批判は少なくとも数年は続いたのであった。
 しかし「うどん会」は実際はやめることはなかった。それは、人間ドックと集団健診受診が一年おきとなり、健診会場が各区の公民館から、村福祉センターに移行して行われるようになった平成8年頃までは続いたのである。 (かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。