〜「農民とともに」No.117〜




八千穂村健康管理

劇の効果はてきめん
 衛生指導員の初めての劇「ガンコ親父の胃がん施設検診」はとても好評だった。その効果は早速いくつか現れた。
 1つは、劇そのものの教育的効果である。あちこちの区で、ガンコ親父がいっぱいいたが、それが胃がん施設検診を進んで受けるようになった。演劇は、高名な学者の講演よりも、地域の人たちにとっては心に残るものであると、かつて若月俊一先生が言われたことを、衛生指導員は見事に証明したのであった。
 さらに大きな成果は、指導員の仲間づくりができたことである。交代で新しくなった指導員会が、劇を通じてお互いに仲良くなり、すごくまとまりができてきた。みなで1つのものを力を合わせてつくり上げた、そのことが組織づくりにつながったのである。このつながりが、後に衛生指導員不要論が出てきたときに、大きな力を発揮するようになろうとは、そのときは誰も予想しなかった。

一旦は中止を決めたが
 第1回目の演劇上演の大成功に、指導員たちはみなで喜びを分かち合いながら、来年もぜひ劇をやろうと固く申し合わせた。
 ところが1年たって、次の年の健康まつりの取り組みの衛生指導員会では、なぜかあのときの感動よりも、苦労ばかりがみなの頭に残っていた。「劇はよかったけれど、あんな大変なのはやりたくねえな」と誰かが言った。いろいろ議論の結果、毎年は大変だからということで、今回は劇は休むことに決定してしまった。

がん末期の問題を扱った「死をみつめて」(4作目)
 その頃、指導員会が終わると必ず一杯やることが決まっていた。その夜も大勢の指導員が飲み屋に流れていった。指導員会に出ていた役場の担当者や病院の八千穂担当もいっしょである。その席でいろいろ話すうち、指導員たちは劇をやめたことに、どこか心に引っ掛かるものがあったようだ。
 お酒がまわる中で、指導員の井出正さんが、病院の飯島郁夫さんに話しかけてきた。「おめとう(お前たち)は、本当は劇をやって欲しいと思っているずら。そんならそうとみんなに言ったらどうだ」と。「それはやったほうがいいと思うけど、無理矢理やっても仕方がないし、みんなの気持がいっしょにならなければ意味がないじゃない」と飯島さん。井出さんはさらに声を荒げた。「かっこいいことを言うな!本当は劇をやってほしいとみんなに言え」。
 飯島さんも井出さんの気持ちはよく分かっていた。井出さんもその夜は何かすっきりしないものがあったようである。

若手の意見で劇を復活
 それから数日したある夜、桜井三郎、内藤勇市、渡辺春雄、桜本源一郎さんら、指導員若手メンバーが焼鳥屋に集まり、一杯飲んでいた。その中で、劇は毎年続けなければ意味がない、どうでも復活させようという話になった。4人は、早速その場に会長の高見沢さんを呼び出した。高見沢さんはなんのことやら分からず焼鳥屋に駆けつけたが、劇をやろうという若手メンバーの話を聞いているうちに次第に嬉しさが込み上げてきた。すごいぞ!うちの若手たちは。次の日、高見沢さんは役場にとんでいき、緊急に指導員会議を開いてもらうよう申し入れた。そんな人たちの前向きの姿勢に動かされ、結局その年も健康まつりで、指導員が演劇にとりくむことが決まった。

健康管理の歴史を劇に
 内容は、若手メンバーがすでに話し合ってあり、すんなり決まった。八千穂村の健康管理の歴史をやるというのである。脚本をまかされた高見沢さんはテーマの大きさに難渋した。昭和34年になぜ全村健康管理が始まったのか、当時の人たちはどんな考えを持っていたのか。高見沢さんは取材に走り回り、役場や病院の資料を引っ繰り返した。そして長編の「生きる」いう脚本が漸く完成した。

ぼけ老人の介護を考える「ひとりぼっち」(6作目)
 1回目に比べて倍以上に長かったけれど、みなの力が入っていたので、練習はやりやすかった。役者には、村から保健婦の中島幸枝さん、病院からも保健婦の佐々木(現姓・菊地)徳子さんと佐々木(現姓・高柳)ひろみさんが参加、協力することになった。
 指導員の内藤勇市さんは専門が看板屋さん、同じく桜本源一郎さんは大工さんなので、舞台づくりはお手のもの。内藤さんは、立て看板をつくりながら、何とか工夫して人を寄せつけるような内容にしようと気持を打ち込んだ。
 健康まつりの当日、集まった人たちは、自分の村の健康管理の歴史を熱心に観てくれた。

なくてはならない演劇
 さて、3年目、もう劇は「健康まつり」にはなくてはならないものになっていた。衛生指導員で反対するものは誰もいなかった。村の人たちも、健康まつりの指導員の劇を毎年待ち望むようになった。問題は、村の人たちに何を観てもらうかということであった。
 最初は健診を受けようとか、健康とは何かを考えようといった内容であった。しかし時代の流れの中で、村でもお年寄りの問題、寝たきり老人の介護の問題が始まっていた。テーマは必然的にお年寄りの問題に移っていった。そのような中から、さまざまな地域で上演されるようになった名作「看る」が生まれた(第5作目)。現在、高見沢さんの書いた脚本は30数本に及ぶ。この大部分は衛生指導員が上演している。
 演劇は問題提起だという。地域住民に問題を提起し、そして住民自身がみずから考え、みんなで話し合う。そこから住民を巻き込んでの新しい活動が始まる。その機会を演劇がつくってくれる。今や演劇活動は、指導員活動のいのちになった。
(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。