〜「農民とともに」No.116〜




八千穂村健康管理

健康まつりに劇を
 年が明けて、昭和60年になった。衛生指導員も4年の任期が過ぎ、何人かのメンバーが入れ代わった。会長には、前副会長だった高見沢佳秀さんが推薦された。
 やがて第2回の健康まつりの時期がやってきて、指導員会議が開かれた。第1回のときには、指導員独自のアンケート調査の発表をしたのだが、第2回目も何か独自の発表をしたいということで、みなで頭をひねって考えたが、なかなか良い案が出てこない。
 すると誰かが、「寸劇でもやったら」とポツンと言った。「それはよい」「それはいけそうだ」とみなが賛成。しかし、問題はいくつもある。劇をやったことのない指導員に果して劇ができるのか。脚本は一体誰が書くのか。いろいろ討議したが、結局、脚本は会長にやってもらおうということになった。実は高見沢さんは、青年団時代に少し演劇に関わったことがある。

胃がん検診をテーマに

本番当日のメイクアップ風景
 さて何をテーマとするのか。住民に何を訴えたらよいのか。
 当時、指導員の活動でいちばん主だったのは、胃がん施設検診の受診勧誘で、なかなか受診率があがらないので苦労していた。指導員もみな30歳代の人が多く、対象の40歳以上の人に胃がん施設検診を勧めにいっても、抵抗があったし、指導員も説明しにくかった。自覚症状もない年配者は、若い者のいうことをなかなか取り合ってくれなかったのである。
 高見沢さんは、「よし、そのことをテーマにしよう」と決め、早速取材のために何軒か歩いた。そしてでき上がったのが、「ガンコ親父の胃がん施設検診」という一幕である。
 内容は、ガンコ親父の武造が、衛生指導員の一雄から検診を勧められるが、初めは「胃がんなんかやたらにかかるもんか」と拒否。しかし家族の説得で受診すると、早期胃がんと分かり、手術をして命拾いをしたという筋であった。これは実際にあった話であった。高見沢さんはその後も脚本を多く手掛けるのだが、いつも実話をもとにしている。それは実際の話や出来事のほうが、みなに訴える力が大きいと考えたからである。

練習にも次第に熱が入る
 さてシナリオはできたけれども次は配役である。初めてのことなのでみな尻込みしている。わずか5人の出演だがなかなか決まらない。仕方がないので、脚本を書いた会長の高見沢さんが主役の武造役を買って出た。そして3回も会議を重ねてやっと全員が決まった。
 いよいよ練習が始まる。しかしどうもうまくいかない。保健婦役になった輿水文雄さんがまじめに一所懸命にやればやるほど、みなが吹き出してしまい、練習が中断してしまう。
 困った高見沢さんは、佐久病院劇団部の羽毛田牧夫さんに相談した。練習を見た羽毛田さんは、「この劇はお笑いではないので、輿水さんには気の毒だけれど、保健婦役はやはり女性でなければ無理ではないか」とアドバイス。
 そこで早速、指導員たちは役場に頼み込み、村の保健婦の中島幸枝さんに急遽出演してもらうことになった。練習も後半に入ると、あれほど嫌がって役者になった指導員たちが、驚くほど熱が入ってきた。

役場や病院も手伝って

健康まつりでの舞台
 今回の劇には、役場や佐久病院の人たちも大きな応援をしてくれた。役場の相馬文雄さんはマネージャー役を引き受けてくれた。佐久病院の桜井賢彦さんは、幾晩もかけてすばらしい音響効果の仕込みをしてくれた。照明の機材搬入やセットには、同じく佐久病院の新海盛夫さん、井出久治さんたちが活躍してくれた。プロンプター役をかってでた佐々木(現姓・菊地)徳子さん、何かと面倒見の良かった小須田(現姓・征矢野)文恵さん、飯島郁夫さん、嶋田三代治さんらの八千穂担当の面々も、毎晩欠かさず練習に参加してくれて、そのでき具合を見守ってくれた。
 わずか25分くらいの劇だったけれど、合わせて15、6回は練習した。詰めの段階に入ると衣装をつけメイクをして練習した。
 しかしメイクをするといっても、ドーランを塗るのはみな初めて。最初に真っ白い化粧を塗ってしまったから、ちょうど今でいう志村ケンの「バカ殿様」のようだとみなで大笑い。ガンコ親父は口の回りは髭だらけということで、真っ黒に塗られてしまった。こちらはパンダであった。

すばらしい劇に大拍手
 そして11月17日、いよいよ健康まつりの当日である。劇の発表は午後のいちばん最後だ。
 出演者たちはなんとなく余裕があった。指導員の一雄役の桜井三郎さんは、高見沢さんから、「あがらないように一杯飲め」と言われたので、舞台裏でチビチビやっていたが、待ちくたびれ、気持よくなって寝込んでしまった。武造の息子役の内藤勇市さんは、幕の横から観客が300人以上入っているのを見て、「よし、やってやるぞ」と張り切っていた。その反面、周りの裏方の指導員、役場、佐久病院の担当者たちは、緊張のため、そわそわと落ち着かなかった。
 結果は大成功で、多くの人たちの協力で、すばらしい劇になった。良かった。本当に良かった。幕が下りたとき桜井さんと内藤さんは、思わず舞台で抱き合った。それは寸劇どころか、本格的な演劇であった。会場満員の人たちが瞬きもせず、熱心に観てくれた。幕が上がって、一人ひとり役者と裏方が紹介される。そのたびにまた割れるような拍手。
 そのあとの慰労会は裏方の人も入れて大いに盛り上がった。「あのときの酒の味は忘れられない」と、今でも指導員たちは言う。
(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。