〜「農民とともに」No.110〜


八千穂村健康管理

また一からのやり直し
 昭和52年には多くの衛生指導員が新しくなったが、馬越区の今井恭夫さんもその1人だった。今井さんの第一の仕事は、やはり受診者を増やすために、区を回って受診の勧誘をすることだった。
 毎年多くの人が対象者として新しく登録される。だから毎年同じことを繰り返して説明しなければならない。検診を始めて20年近くも経つと、対象者の半分近くは変わってしまうのだ。いつも一からのやり直しだった。
 ちょうど高度経済成長の最中で、若い人は勤める人が多くなった。なかなか検診に来るひまもない。それに会社で、ある程度の検診はやってくれる。だから若い人の受診率はいつも低かった。
 そこで指導員会では病院と相談して、勤めている人も来られるように、受付時間を午後6時まで延長してもらった。それで勤め人もかなり受診できるようになった。
 それでも絶対検診はいやだということで、まだ頑張っているお年寄りもいた。今井さんが訪問すると、「そういう話だったらいいや」とか「やだもんは、やだ」と、玄関から絶対入れてくれてない家もあった。危うく塩をまかれそうになったこともある。それでも今井さんは、訪問を欠かすことはなかった。

受診率を何とかしろ

衛生指導員も交えての合同会議
 八郡区の高見沢佳秀さんは、53年に衛生指導員になった。トラさんから数えて3代目である。52年組の衛生指導員たちはすでに精力的に活動を始めていたが、高見沢さんは1年遅れたために何をやっていいかさっぱり分からない。ピッカピッカの1年生だった。
 最初の指導員会で、「八郡区は大きい区で人口が多いのに、受診率は50%を切っている。これは八千穂村全体の受診率に響いてくる。おまえ、何とかしろ」と皆から責められ、苛められた。しかしどうすればよいのか、皆目見当がつかなかった。
 はっきり言って高見沢さんは、村や病院がいろいろ計画立てるから、衛生指導員はただそのお手伝いをすればいい、早く言えば、行政の使い走りをするだけでよいと思っていた。これでよいのかという多少の不安もあったが、これが指導員の役目だと思っていた。
 ところがその年の暮、佐久病院のクリスマスに招待されたとき、高見沢さんの考えをガラリと変える出来事が起きたのである。

指導員は住民の代表だ
 佐久病院のクリスマスには、地域の人たちを始め、多くの人が招待される。衛生指導員も同様であった。
 一次会が終わって、高見沢さんと指導員会長の小宮山則男さんと健康管理部の飯島郁夫さん(現事務長)の3人で中込へ飲みに行くことになった。大雪でタクシーも動かない夜であった。雪の中を転げ回るようにして何軒か梯子した後、飯島さんはこう高見沢さんに話しかけた。
 「衛生指導員は役場や病院の使い走りではない。あなたは住民の代表なんだ。だから住民の意見や様子を、役場や医療機関へ持ち上げなければならない。住民の代表として、いろいろやることがあなたの役目だ」と。
 高見沢さんはがんと頭をなぐられたような気がした。「そうなんだ。おれは住民の代表なんだ。そうとすれば安閑としてはいられない」と思った。急に目が開かれた感じだった。高見沢さんは、自分の地区の人が可哀そうに思えてきた。自分は住民の代表なのに、住民の健康のために何もやっていないではないか。その晩は気が高ぶって、一睡もできなかった。

精力的に地域を回る

呼吸機能検査に訪れた医師達と
 年が明けてからは、高見沢さんの行動が一変した。
 まず区長と常会長のところへ行って、「とにかく八郡の地区は、大きいけれど受診率は非常に低くて、健康への意識は低いから、何とか考えなくてはならない」と訴えた。また区の総会や常会の総会に「ぜひ皆さん検診を受けよう」と話をした。各組織の責任者にも検診受診をすすめるよう協力を仰いだ。若妻会などは、自分の会員のところを進んで歩いてくれた。
 ちょうど検診時に必要な問診票を皆に配る時期でもあった。高見沢さんは、寒い雪道を毎晩頬かむりして問診票を配りながら、内容を説明して歩いた。その年の検診では受診率が47%から61%に上がった。

住民の希望も入れて
 さらに次の年の検診前には、公民館に集まってもらって、「学習会」を何回も開いた。その1つは「検診の内容をよく知ろう」というテーマにした。当時集団ヘルススクリーニング方式になって、随分検査項目が加わったが、良く内容が分からない住民も多かったからである。特に血液検査のことを説明すると「へえ、そんな検査ができるのか」とびっくりした住民も多かった。学習会に来られない人には一軒一軒説明して回った。
 また高見沢さんはなにか住民の希望する検査項目を入れたいと考えた。住民にいろいろ聞いてみると、「体力テストをぜひ入れてくれ」という意見が出た。それを病院に話して入れてもらうことにした。反復横跳びとか屈伸度とか握力などの検査だった。
 そして年が明けて八郡区の検診となる。体力テストを入れたせいか、若い人の受診がぐんと増えた。あまり大勢来たので診察が間に合わず、もう1人医師を病院から呼んでもらった。最終的には、受診率が70%近くになった。
 高見沢さんは述懐する。「地域の要望を取り上げていかなければ、衛生指導員の意味がない。衛生指導員、何やってるんだと言われても仕方がないからね」と。新しい衛生指導員の誕生である。 (かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。