〜「農民とともに」No.109〜




八千穂村健康管理
指導員から生の声を
 昭和52年は、八千穂村にとって、乳幼児から成人まで一貫した健康管理ができ上がった画期的な年であったが、その頃から全国各地から視察団の来訪が多くなった。視察団は北海道から沖縄まで全国各地に及んだ。昭和51年は40団体、52年は35団体という状況であったが、その他にも2人、3人という視察者は数多くあった。

視察者を案内する若月院長と出浦村長
(昭和52年・大石地区)
 ちょうどその頃、若月院長の著書「村で病気とたたかう」(岩波新書、昭和46年)が出版されたこともあり、その著書を読んでとか、また講演を聞いてということで、視察に来られた方が多かった。それだけに、かなり事前に勉強された上での見学で、じかに住民と会って、住民の意識について聞きたいとか、衛生指導員の役割と地域における実践活動について、直接指導員から生の声を聞きたいといった要望が殆どであった。
 当時、役場の健康管理担当だった岩波英雄さんは、いつもその応対に追われたが、一方、衛生指導員会長の小宮山則男さんや副会長の青木秀夫さんも、たびたび説明のために呼び出されることが多かった。

たのまれ仕事ではなく
 昭和52年8月には、川崎医療生活協同組合のみなさんが大挙して訪れた。後日見学記が村へ送られてきたが、そのなかで企画調査部長の田畑さんは、見学の感想を次のように述べている。
 「八千穂村の衛生指導員会長と副会長が、18年間の取り組みと現在の苦労など、何の気負いもなく述べてくれたが、他に仕事を持ちながら、村当局と心を一つにして、村民の健康をどう守っていくか、どうしたら健康管理にもっと関心を持ってくれるか、単なる『たのまれ仕事』ではなく、また『名誉職』でもなく、村民の要求を自分の要求として誠実に活動している姿が、説明する一語一語から伝わってきた」と。
 衛生指導員の活動は、次第に全国の注目の的になって来ているようだ。

過保護の中では育たない
 一方、なかなか厳しい感想もあった。昭和50年に訪れた岐阜県上矢作町保健婦の西尾みよ子さんは、実際に健診に5日間参加した後で、次のように述べた。
 「健診態勢を整え、受診をすすめ、ああしよう、こうしようということまでは簡単だが、その根本である健康の大切さを分かってもらうということは、なかなか困難のようである。(中略)
 今後の八千穂村にとって、最も基本となることは、住民自身が健康は自分で守るという意識を持つようになることであると思う。医療従事者や行政は、住民がいかにして健康を守りやすくできるかを考え、そうできるように援助していくものである。過保護の中では強い子は育たない」と。
 システムは立派だが、村と病院が主体で、まだまだ住民主体の健康管理になっていないという指摘である。残念ながら当時は、まだそのとおりの状態であった。

指導員の頑張りに感心
 衛生指導員の活動にとても興味を持った人もいた。昭和52年、秋田県の上郷健康センターから見学に訪れた鈴木土身さんと斉藤喜也さんである。上郷健康センターは健康づくり活動に早くから取り組んでおり、とくにその「健康祭」は有名だ。

問診チェックと血圧測定(佐口地区)
 八千穂村の住民代表、とくに昔の衛生指導員に会いたいということで、横山保健婦さんが案内して、井出佐千雄さん宅を訪れた。佐千雄さんは、すでに衛生指導員はやめて、村の健康管理のことを協議する保健委員をしていた。
 衛生指導員時代の苦労話をいろいろ聞いたあと、鈴木さんはこう尋ねた。「八千穂村では、行政や衛生指導員、そして佐久病院が頑張って、すばらしい仕事をしているけど、住民の意識はどうなんだろうか」と。同じく健康づくり運動に取り組んでいる立場から、やはりこの点が気になるらしい。
 佐千雄さんは率直に答える。
 「正直言って、住民は甘えていたところもあったね。自分たちの行動はまだまだできていない。これから、指導員OB会も含めてなんとかしなきゃいけないと考えている」と。佐千雄さんは指導員OB会長も兼ねているのだった。
 ふつうは、こういう保健関係の委員は女の人が多い。しかし八千穂村では男性の衛生指導員が頑張っている。鈴木さんは、佐千雄さんのような人が、この八千穂村の活動の中で生まれたことにとても感心した。

八千穂村は私たちの宝
 翌日、八千穂村を訪れた鈴木さんたちは、村の健康管理についてくわしく話を聞いた。住民課の方たちが総出で説明してくれた。
 帰途、八千穂駅を背にして、村をもう一度見渡したとき、鈴木さんはなんとも言えない感激に身体がふるえる気がした。日本中の健康管理活動がこの村から始まったのだ。「健康を守る運動のルーツかな?」と考えると、やはり八千穂村は私たちの宝だと思った。そして、まだいろいろ問題はあるにしても、過去の蓄積をもとに、八千穂村はいまさまざまな課題を乗り越えようと頑張っている。
 鈴木さんは妙に感激している自分がおかしくて、誰にも分からないように「クスッ」と笑いながら、満足な気分で帰路についた。八千穂駅から、案内してくれた横山保健婦さんにお礼の電話。
 「モシモシ、俺たち、これで帰ります。いろいろどうも有難うございました。臼田の町を列車が通るとき、佐久病院に手を振りますからね……」。
(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。