〜「農民とともに」No.100〜




八千穂村健康管理
酒をよく食った
 衛生指導員会長の山浦虎吉さん(トラさん)と佐久病院の井出(秀)さんと役場の間島さんは、八千穂村のトラの3人組と呼ばれた。健康管理の中心的な世話役ということだけでなく、酒をよく飲んだということでこの名がついている。井出村長や若月先生もよく酒を飲んだから、この2人を入れると5人組ということになろうか。

「酋長の娘」を踊る井出村長、左端はトラさん
 井出村長は酒を飲むと、よく「親沢追分」を歌った。小諸追分のルーツともいわれる親沢追分は、村長が歌うとまた違った味わいがあった。また村長は宴会で酔っぱらうと必ず「酋長の娘」を踊った。〜私のラバさん酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人〜という文句で始まる戦時中の歌謡である。赤い腰巻きをまとってこれを踊る村長はいかにも天真爛漫で、日頃の怖いイメージは全く無かった。
 トラさんの酒好きは村でも有名だった。「酒を飲みながらやっているうちに酒知恵が浮かぶんだ。飲むというよりも酒を食ったね」とトラさんは言う。だが、酒を飲むと他の衛生指導員と衝突することも多かった。これがちょっと問題だった。

すぐ取っ組みあい
 後日、衛生指導員OB会を持ったときの思い出話のひとこまである。トラさんの他に井出佐千雄、井出守、渡辺一明、佐々木喜一郎さんたちが集まっている。
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佐千雄:「今日はひとつ一杯飲みながら裏話でもやるか」
トラ:「おめえたちと違って、俺は裏話なんかねえよ。裏も表もねえもんな」
喜一郎:
「具体的に裏話というと、どんなことを言えばいいのか」
一明:「例えば、守さんなどは意見が合わずに取っ組みあいのけんかをしたと聞いているが」
トラ:「そりゃ俺だよ。(笑い)消毒液の予算がないから今年は消毒はやらないと間島(衛生係)が言うから、『馬鹿野郎!人をただ使っておいて、消毒出来ないとはなんてことだ』と怒ったんだ。役場の食堂で間島と取っ組んでけんかした。佐千雄がとめたんだ」
佐千雄:「間島さんもトラさんも少し酒を飲むと酒乱になる。どっちも負けず嫌いだから。間島さんも『それならおめえ、やるならやってみろ』ということになってけんかになった。大体少し飲むとこうなる」。
トラ:「少しじゃねえ。たんと飲んだんだ」(笑い)
佐千雄:「たんと飲んでならまだいいが、たんと飲まねえうちにそうなるから困るんだ」(笑い)

 検診に来なかった人を後で衛生指導員たちが回って、その理由を聞いてみたことがある。その結果次のような点があげられた。
 いちばん多かったのは、「ふだん健康でどこも悪くないから」というのであった。「自分の体は自分がいちばんよく知っている。現在どこも具合わるくないし健康だから、検診なんか受ける必要はない」というのである。
 次に多かったのは、「病気がはっきりするのがこわい」という答えだった。すなわち「自分はいま具合が悪い。だから病気をみつけられるのはとても怖い。もし入院して手術が必要だと言われたら困る」というのである。当時は入院して手術になると、一家が破滅するくらい莫大な医療費をとられたから、それを恐れていたということもある。そのほか、「仕事が忙しくて受けるひまがない」とか、「病気で医者にかかっているので」というのもあった。
 根本的には、健康診断の意味がまだよく分かっていないということになる。まだまだ健康教育が必要であった。

ありゃ資本主義だ
 
守:「間島さんも酒癖が悪いところがあったが、会長のトラさんも強引なところがあった。会長の強引さにつられて、われわれも一所懸命に検診の手伝いには出てきた。『何でお前、出て来ねえんだ』とすごく怒られたからねえ。(笑い)
一明:「たしかにそれはあるね。今でいう民主主義というもんじゃないな」(笑い)
守:「ありゃ資本主義だ。強引だもの」(笑い)
トラ:「でも、みんなよく俺についてきてくれたなあ。まあ、一杯飲んでくれや」(笑い)
喜一郎:「結婚しているのはトラさんだけだったからね。それだからよかったんだよ」
佐千雄:「あとはみな独身だったからね。トラさんには頭があがらなかった」
トラ:「強引と言われるけど、俺と間島と村長はいつも一緒にいて話していたから、やり方が似てきた点があったかもしれねえな」
佐千雄:「俺は直接村長のところへ行って、トラさんと間島さんがいるからいやだ。指導員をやめさしてくれと言ったことがある。そしたら村長に大変怒られた」
トラ:「後で村長に呼ばれて、『お前、だいぶ酒飲んで悪たれたそうじゃないか』と言われたが、『酒飲めば誰だって悪たれるわい。村長が酒飲んで踊るのと同じだわい』と言ったら、『そりゃそうだ』と村長が納得した。これで一件落着さ」(笑い)。

トラさん大いに怒る
 トラさんは思ったことは何でも率直に口に出す。それがけんかになる原因でもあるのだが、また一面、彼の良いところでもあった。

説明する間島係長、左から寺島・松島医師、井出村長
 当時、健康管理を担当していた松島医師が、トラさんからひどく怒られたことがある。衛生指導員の同僚であった菊池勇治郎さんが亡くなったときと、それからずっと後になって、役場の間島さんが亡くなったときである。いずれも悪性腫瘍による手遅れであった。
 「健康管理をやっていて、なんで手遅れで死なせなきゃならねえんだ。本人の不注意もあったかもしれねえが、こんな健康管理なら止めてしまえ」とトラさんはいきまいた。松島医師は返す言葉もなかった。全くトラさんの言うとおりであった。
 当時の検診内容のこともあるが、がんの早期発見はなかなか困難で、検診を受けていても、たまには手おくれが出ることがあった。これでは健康管理の意味も薄れてしまうことはたしかだ。
 とくに農民体操を熱心に推進してくれた菊池雄治郎さんは、トラさんの姉のご主人ということもあって、トラさんは全く機嫌が悪かった。その後、一カ月は口も聞かなかった。
 間島さんの死は、トラさんだけでなく、病院の担当者たちにも相当ショックを与えた。間島さんは村の健康管理の実際の責任者であったし、本当のところ間島さんがいたからこそ、ここまで健康管理が進んだのだった。「将来は村長をやるんだ」と意気込んでいただけに、その夢が叶えられず、さぞかし悔しい思いだったろう。トラさんも長年のけんかともだちを失ってすっかりしょげていた。

村会議員に初当選
 やがて昭和39年、村長選があり、井出村長が破れ、かわって新しく佐々木庫三村長が登場することになる。
 井出村長は多少ワンマンのところがあったが、佐々木村長はおだやかで、強引なところは少しもなかった。ただいちばん心配したのは、村ぐるみの健康管理がこのまま続けられるかどうかということだった。しかし、心配は無用だった。健康管理の方針は少しも変わることはなくそのまま継続された。
 佐々木村長は、衛生指導員の活動を高く評価していた。「健康管理のことはもちろんだが、村長が何かやろうとするとき、指導員のみなさんは、殆ど手足となってよくやってくれた。だからとてもやりよかった」と当時のことを語っている。トラさんについては、「口は悪いけど、足まめでみなの面倒をよく見ていたね」と。
 トラさんは、翌40年、衛生指導員会長のまま村会議員に初当選した。衛生指導員の村会議員第1号であった。(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。