〜「農民とともに」No.98〜



八千穂村健康管理
雪道の中で農民体操
 芽を吹きはじめたばかりの白樺林が山道を覆うように続いている八千穂村大石区にも、ようやく春が訪れようとしていた。だが、木立から洩れてくる僅かな陽の光を打ち消すかのように、周囲を流れる風は頬を切るように冷たい。遠くに霞む八ヶ岳は、しっかりと雪をかぶったままだし、屋根の雪も坂道の多い道路の雪も、まだ多くを残したままである。
 やがて、その寒さを払い除けるように、「1、2、3、4、…」と林の向こうから元気な掛け声が聞こえてきた。見ると、道の真ん中で、約20人の人たちが掛け声に合わせて体操をしている。野良着の人も、割烹着を着たままの人も、赤ん坊を背負ったままの人もいる。毎日、大石区で続けられている農民体操である。
 体操を終えてさわやかな顔つきのおじいさんに「体操をやってみてどんな具合ですか」と聞いてみた。「いやあ、肩こりも腰の痛みもだいぶよくなりやしたなあ」との返事。「だいいち疲れがとれるねえ、体が軽くなった感じだ。中には便秘しなくなったという人もいるよ」とのこと。大石区の人たちは農民体操をとても楽しんでいるようであった。

音楽に民謡やわらべ歌
 佐久病院で農民体操をつくって八千穂村の大石区でそのテストを始めたのは、村ぐるみの健康管理が始まって三年ほど経った昭和37年のことである。

朝日をあびながらの農民体操(朝日新聞社提供)
 当時の農作業はまだまだ筋肉労働が主だったから、過労からくる肩こり、腰痛などが非常に多かった。検診の問診で聞く「農夫症」の調査でもそれははっきりしていた。それをなんとか解消しようという若月先生の考えで農民体操が始められた。
 実際に体操のやり方をつくったのは、当時院長室係だった内田直人さんで、「家の光体操」などを参考にして、疲労回復のために農家の人が日常生活の中で気軽にできる体操をつくりあげた。また親しみやすくするためには音楽も大事だということで、当時佐久病院にいた永田泉さんが、ふだん皆がよく知っている日本民謡やわらべ歌をもとにピアノ伴奏をつけた。
 これを八千穂村全体で広める前に、本当に体操が効果があるかどうか、1年間テストしてみようということで、対象地区として大石区が選ばれたわけである。

道路を体操場にして
 大石区では、衛生指導員の菊池勇治郎さんがその担当をやることになった。テストをやるには、まず農民体操そのものをよく覚えてもらわないといけない。内田さんは何回となく大石区へ足を運んで指導したが、その都度、菊池さんとその妻つる子さんが熱心に区を回って人集めをしてくれた。
 はじめは、「いい年をして今さら体操なんて」とか「そんなこと恥ずかしくてできるか」とか「そんな暇なんかないよ」とためらいがちな人が多かった。だから内田さんも菊池さんも、まずその意義を理解してもらうために、足繁く区を回らねばならなかった。いろりを囲んで話し合いをしたり、劇や映画などをみてもらって、その意味をよく説明した。
 また、実際に体操を教えるにしても、みんなが集まって体操をやる恰好な広場がない。やむなく公民館前の道路を体操場にした。現在の道幅の半分もなく、石がゴツゴツ、雨が降れば流れになり、雪が降ればぬかるみとなる道路だったが、区の人たちにとってはやがて大切な体操場になった。

マスコミが押しかける

タバコ作業の合間にも農民体操
 2、3ヵ月経つうちに、みんなすっかり体操を覚え、体操をやるのが楽しみになってきた。1日3回、あちこちから農民体操の掛け声が聞こえてくるようになった。
 しかしちょっと困ったことが起きた。皆で体操をやるようになって、これを聞きつけた新聞、雑誌、放送などのマスコミが、時間を問わず大挙しておしかけるようになったのである。写真を撮るから、いますぐ大勢集めて体操をしてくれとか、田んぼの畦道で体操をしてくれとか、ともかく注文が多い。これには菊池さん夫妻も困った。とくに忙しい蚕の時期には一刻も手を離せない。
 しかし考えてみると、マスコミに取り上げてもらうことは、体操を普及する意味では大変有難いことである。菊池さん夫妻は、忙しい仕事の合間をぬってできるだけ協力することにした。そのお陰で、後になって全国からいろいろ問い合わせが来るようになった。

40年間もなお続けて
 特筆すべきは、37年秋の小学校の運動会には、大石区のおっ母さんたちが、総出で農民体操の特別出演をしたことである。これが運動会始まって以来の出来事とということで、村中の評判になった。
 1年間のテスト期間が終わり、その効果がはっきりしたので、全村でそれを実施することになった。朝、昼、晩と1日3回、村の有線放送で体操の号令と音楽が流れるようになった。やがて農民体操のソノシートがつくられ、販売されて、農民体操は次第に全国に普及していった。
 今でこそ、体力づくりとか運動の必要性とかが叫ばれているが、当時はそんなことは殆ど省みられない時代だった。その中で、農民体操が先頭を切って、そのきっかけをつくった役割は大きいと言わねばならない。
 現在は朝1回となったが、八千穂村では、以来40年間も放送が流れている。菊池さん夫妻の努力のお陰である。今でも毎日体操を続けているというつる子さんは、「あの当時はみな体操を喜んでやったねえ。私が今でも元気なのは体操のお陰だよ」と、八十二歳になる体をピョンと飛び跳ねて見せた。(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。