〜「農民とともに」No.91〜



八千穂村健康管理
農村病の予防をテーマに
 佐久病院と八千穂村が協力して教育映画「農村の病気」(製作・ファースト映画社)を製作したのは、昭和33年のことである。
 この映画は、農村病の原因として若月先生が提案した、肉体的疲労、精神的緊張、栄養不足、冷え、不潔な環境という、農村に多い5つのストレス要因を解説し、それらをなくすことが農村病の予防に大切だということをテーマにしたものである。
 従来の衛生教育といえば、せいぜいポスターやスライドで行うことが主だったので、初めての教育映画の製作には、村からも大きな期待が寄せられた。


赤ちゃんを嬉しそうに眺めるトラさん
〜映画「農村の病気」の一場面から〜
配役はすべて素人で
 舞台は八郡地区が選ばれた。後に衛生指導員会長になった山浦虎吉さんも、その製作に協力してもらった1人である。(山浦虎吉さんは通称トラさんと呼んでいるので、これからはそう呼ぶことにしよう。)
 トラさんは八郡地区で商店を営んでいるが、衛生部長もやったことがあり、顔が広く地区の世話役的存在だった。そこで映画に出演する配役を選ぶ相談を受けた。今度の映画は、プロの俳優は出演せず、ナレーション以外はすべて村の人と佐久病院の職員でやることに決まっていた。トラさんは、自分のメモ帳から何人かの出演可能な人を選びだした。その上、監督から頼まれて、自分自身も映画に出演することになった。
 映画は、佐久病院の日向幸子前総婦長さんが扮する村の保健婦が、自転車で山道を走っていく場面から始まる。目指すはトラさんの家。トラさんに赤ん坊が生まれたという設定である。産湯をつかう赤ちゃん。それをニコニコと嬉しそうに眺めるトラさん。若きトラさんの演技もなかなかのものだった。
 撮影はリハーサル1回ですぐ本番だった。なにしろ赤ん坊は裸でいるのだから、カゼでも引いたら大変である。そう時間をかけて何回も撮るわけにもいかない。
 ところが撮影中にとんだハプニングが起こった。他の地区から、「子どもが具合悪くなったから、保健婦さん至急来てくれ」と全村の有線放送が入ったのだ。村の保健婦役を演じた日向さんを本物の保健婦と間違えたらしい。撮影途中に抜け出すわけにもいかず、これには日向さんも大変困ったという。

眞夏に冬の身支度で
 映画の中で、農家の食事風景を撮影する場面があって、小林スイさんは、3人の子どもの母親役で出演した。
 撮影したときは真夏の暑い日だったが、撮影は冬のシーンなので冬の身支度をしなければならなかった。衿元を何枚も出すために着物を何枚も着て、その上に半てんを着て、その半てんに黒の袷をわざわざつけて、またその上にチャンチャンコを着た。その上何百ワットという電球で上から照らされているので、水玉のような汗が顔からしたたり落ちる。それを病院の係が拭き拭き撮影した。
 農家の「1升めし」を表現するために、茶わんに山盛りのご飯を食べるシーンもあった。監督が、「もっと高く、もっと高く」と言うので、茶わんに盛れるだけ盛ったところ、1番小さい娘は、茶わんに口を当てたときに、目から下は全く見えなくなってしまったという。これだけは、ちょっと演出のしすぎだったようだ。
 映画は半年がかりで完成し、村の各地区をまわって上映会が持たれた。特筆すべきは、これを機会に、佐久病院映画部が次々と自ら映画をつくるようになったことだろう。「冷えとたたかう」、「農民体操のすすめ」、「中気の老人たち」などの映画をつくったのも、この「農村の病気」製作が大きなきっかけになったといえる。

調査に積極的に協力
 その頃佐久病院では、農村へ出掛けていろいろ調査をやることが多かった。それも多くは八千穂村が対象だった。「早老調査」もその1つである。

背骨の動き具合を調べる
(生理的年齢測定のひとつ)
 それより以前、若月先生が若い男女の性についての調査をやったこともあって、今度は「早漏の調査」かと早合点した向きもあったようだが、そうではなく農村の人が都市の人に比べて、どのくらい早く老けているかの調査だった。八郡と佐口地区で行ったが、これもトラさんが面倒を見てくれた。
 老け方といっても、外見上のことではなく、目の調節力(老眼の度合い)、関節可動度(肩、背骨、股関節の動く角度)、立幅跳び、肺活量、握力、背筋力などを測定して、総合して生理的年齢を出すというものであった。
 年齢別に対象を選ばねばならぬので、これはトラさんに任せた。結果の分析では、農村は都市に比べて5年は早老で、とくに女子に著しいという結果が出た。

村の人との間に立って
 トラさんも検査を受けたが、なんと年齢よりも6年老けていると言われてガックリ。ほぼ同年の間島衛生係長さんに「俺はお前より6年早く死ぬから、そのつもりで付き合え」とやけになった。早老と寿命とは違うことはトラさんも先刻承知のはず、これはトラさんの照れかくしであろう。実際、間島さんは早く亡くなられたのに、トラさんは頭がツルツルになりながらも、なおピンピンしている。
 その他、栄養調査などもやったが、村の人との間に立って、調査がうまくいくように協力してくれたのは、それぞれの地区を受け持つ後の衛生指導員や衛生部長さんたちであった。この人たちは後に健康管理が始まったときも、大きな力になってくれたのであった。
(かんとりい・とりお)

 この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。