若い頃は、でっぷりとしていたというばあちゃんも、90をとっくに過ぎた今では、3回りも小さくなっている。後妻に来たばあちゃんは、次々に子を生み、子育てに半生を費やした。元来病弱だったばあちゃんは、農作業はせず、もっぱら家の中を切り盛りしてきた。その分長男夫婦は貧しい中で、大家族を養うために、馬車馬のように働いた。今のような農業機械はない時代に、体を酷使して稼ぎ出す生活は何処の家庭も皆同じだった。
 ばあちゃんの子どもたちは、苦労な農業でなく都会に憧れて、みんな田舎を離れていった。そしてばあちゃんは、腹違いの長男夫婦とともに70年余も一緒に暮らし続けている。にもかかわらず「長男夫婦の世話にはなりたくない」という意地が、ここまでばあちゃんを長生きさせてきたのである。ばあちゃんが頼りにしていた娘が亡くなった。弱れば母を看ようと思っていた娘。そして、娘が看てくれるはずと期待していたばあちゃんは、長男夫婦にいつも強気だった。しかし、ばあちゃんの老後の計画を踏みにじるように娘の方が先に逝ってしまった。

(写真と文とに関係はありません)
 誰もが嫁さんより子どもに看てもらいたいと願っている反面、子どもが不憫だから、迷惑がかかるから嫁に看てもらうという考えもある。だからばあちゃんは、せめて子どもからの電話を心待ちにしている。時には同居人の心情を考えずに、こっそりと子どもたちに連絡を取っている。でも、家庭を持っている子どもたちが不憫のためか、自分を看て欲しい、連れて行って欲しいとは決して言わない。
 元気な頃のばあちゃんは、忙しい家の事情はそっちのけで、子ども宅へ遊び歩いていたようだ。しかし、高齢になり弱ってきてからは、子どもたちの足は、むしろ遠のいているという。今になって「親を看ろ、連れて行け」と言われるのではないかと、危惧しているようにさえ思われる。でも、それ以前にもっと大事な関わり方があるはずである。決して切れない「血」が薄れている。
そんな中で、「自分の親なんだから、老後ぐらいは看てやればいいのに」という思いが出るのはおかしいことなのだろうか?
 たまに送られて来るお菓子よりも、日々使うオムツの方がありがたいと思うのはおかしいことだろうか?
 「姉さん母さんをよろしくね。無理しないでね。協力するよ」といった言葉じゃなくても、せめて「ありがとう」の一言を欲しくなるのは欲張りなのだろうか?
 若いころ散々切ない思いをしたことが思い出されて悔しくて、優しく接することができない態度を責められるだろうか?
 家が抱えた不幸を、顔で笑って心で泣きながら乗り越えてきた大黒柱が、ばあちゃんよりも先に倒れるようなことがないよう、お迎えの日を待ちわびたいという気持ちを持っていることを批判できるだろうか?
 いつの間にか、身近な人が枠の外に置かれていたり、長男の嫁が看て当たり前という暗黙の押し付けで、介護者の気持ちは行き場を失い、押し殺されて蓄積されている。看ている人でないと決してわからない心の葛藤が、介護の場面にはいっぱい潜んでいる。