おじいさんは、申請書におしゃれな万年筆で達筆に記入し、象牙の印鑑を取り出し丁寧に捺印した。サービスの提供内容は、生ゴミの搬出と駐車場の片づけ、生ゴミは玄関先に出しておくことで承諾してもらい、週1回で開始となった。
 サービスが受け入れられるか否かは、導入時の関わりが鍵である。ましてや、おじいさんの猜疑心を信頼に変えていくためには、サービスの提供に多くの人が関わることで生む煩わしさは極力避けなければならない。そこで、固定した人の派遣を依頼し、おじいさんの生活の流れができるだけ見えるような支援を大切にし、まずはサービスが中断されないよう配慮した。
 駐車場のゴミは、四方の壁側に沿って置かれていた。風化によって開いた隙間の向こうに土手が覗いている。その土手側に、あたかも人から見えないようにナイロン袋がいくつも置かれている。中には陰部だけが汚染された新しい下着がたくさん入っていた。黄ばんだ雑誌や新聞の山、錆びた缶詰の缶や瓶、古いタイヤ、何年も時を重ねたと思われるゴミはトラック2台分と化した。
 案の定玄関先に置かれた生ゴミは、分別が悪い上、指定日にも出されていない。ヘルパーの連絡を受け、ゴミ出しに参上する私を、おじいさんは玄関で出迎えると、「お勝手にある」と言って背中をくるりと向けてお勝手に誘導するように入っていった。
 お勝手の奥には、乾ききった浴槽と動かしていない洗濯機、その前に汚染された下着が山になっている。机の上に無造作に口が開いた食品が置かれ、すでに過ぎ去った賞味期限日を理解するのに一瞬手間取った。流しの中には汚れた食器がそのままになっている。書棚はすでにネズミにやられている。つま先に感じるコロコロした異物、家全体に漂っている異臭が鼻を突く。隣りの居室でテレビが大鳴りしている。「こんにちは」化粧顔にいつものロングエプロンのおばあさんは、座ったまま会釈をした。コタツの上には開いた佃煮の缶詰がのっている。  
 おじいさんは、今度は居室側から応接室に私をとおし腰を下ろした。ソファがおじいさんのお尻を飲み込んでいく。おじいさんは「年をとればだめだね」と言って、一呼吸おいてからまた昔を語り始めた。多分この応接室がおじいさんの功績を語らせるのだろう。話の合間を縫って一息ついて言った、「この次からお家の中もだんだんに片づけさせてもらってもいいですか」。おばあさんの持ってきてくれたサイダーの泡が、前にも増して幾分力強く泡立っているように見えた。
 お勝手の片づけや居室の介入が本格的に進み、ネズミとの鼬ごっこを繰り返しながらも随分家の中は綺麗になった。そして、おばあさんへの更衣や清潔援助、尿失禁で数枚重ね敷きしている寝室への介入を検討していた頃、おじいさんの入院を期に、おばあさんへの在宅支援の介入は、一瞬にして遠ざかった。「お願い」「助かった」「ありがとう」という相互関係が、長い時を重ねながら、日頃から近しい人と構築されていくことで、「おかげさま」「お互いさま」が生まれるものだとしたら、孤立してしまう「根っこ」にコミュニケーションの苦手さが悪さをしている気がする。老いと認知症という病気がその苦手な部分にさらに拍車をかけていくのである。