佐久総合病院ニュースアーカイブス  







 認知症者の多くは、こだわりを持っている。じいちゃんは横に2本線の入ったタイツが好きだ。靴はひもの靴。黄色のトレーナーやフリースのチョッキが大好きである。自分の気に入った服が目につくと、夏であれ何枚でも着込んでくる。じいちゃんの目に触れないように、服の整理をするのも一苦労である。でも嫁さんはじいちゃんの盗られ妄想で部屋には入れない。だから娘さんが時々来て片づけてくれている。
 じいちゃんには、たくさんの宝物がある。自分で捕ったという毛が抜け始めた狸の置物、くすんだ羊毛の座布団、天皇陛下ご成婚の写真に交通安全の黄色の旗、そして破れかかって変色した茶封筒やヨレヨレのアルバムに入った写真。写真の中のじいちゃんは、どれも肩幅の広い大男に写っていた。202年余の歳月が流れている。
 お決まりのカバンの中には、丸まったトイレットペーパーやティシュの屑、黄色いナイロンエプロンに、大きなスプーンがくるまって無造作に入っている。昔の歌手カードとノートは時々行方不明になる。たぶんじいちゃんは、やちほの家でもそうであるように、家でも頻回にカバンの中の物を出し入れしているに違いない。じいちゃんの宝物は汚れていることが多い。汚れた倉庫の中や外に平気で物を置くからである。これらの宝物をじいちゃんのスキを見て、点検し綺麗にするのもコツがいる。
 じいちゃんは言葉で自己表現するのは苦手だ。だから自分の宝物を持参することと、特別にあしらえた衣装を着て、毎日赤城の子守歌を踊ることが心身のバロメーターになっている。また、マラソンが得意だったじいちゃんは足が速い。居心地が悪いとたまに出て行ってしまう。やちほの家の玄関は普段から鍵はかけず、むしろ暑い時は開けっ放しである。認知症が重度化してくると、昼寝時にもっとも不穏になるケースをよくみかける。居心地が悪いのである。じいちゃんもみんなと一緒に横になることは決してない。玄関のイスと外のイスを頻回に往復し、座りながらよだれを垂らしながら眠る。家でも一晩中電気はつけっ放しという。心身の底からゆっくり休めない認知症という病気も、本人にとってはさぞかし辛いに違いない。だからじいちゃんは食べる割に痩せている。
 じいちゃんが本当に出ていく時は、持参してきたものすべてを、両手に抱え込んで出て行くのですぐわかる。職員はじいちゃんに寄り添い、歩きながらなだめてみる。「どこ行くだい」「いっぱい働いてもらったにお茶の一杯でも飲んできな。今日も踊りお願いね」。
 じいちゃんは向きを変えて戻ってくるが、家に入らない時も多い。赤い送迎車に一旦乗り込んで、しばらくして自分からドアを開けて戻ってくる。やちほの家の送迎車もまた、鍵をかけない、乗り降り自由なじいちゃんの居場所である。今日のおやつは味噌こねつけ。じいちゃんは、歯のない口に一気に頬張りながら、砂糖の付いたお皿を指で何度もなめた。