佐久総合病院ニュースアーカイブス  






 ばあちゃんとの出会いは、民生委員からのSOSだった。もんぺを履いた顔色の悪い妹が、ばあちゃんの部屋を案内してくれた。ばあちゃんは、始終目を合わせようとせず、私を覗っていた。
 ばあちゃんの山姥のような白髪頭の奥に、真っ白な厚みを帯びた頭垢がこびり付いている。顔は血流の悪い赤ら顔で、両膝関節が突っ張っている。ベッドの横にあかざの杖が立てかけられている。曲がらない膝での排泄は苦労のはずである。何故かばあちゃんのベッドの下の畳が腐りかけていた。
 ばあちゃんは弁膜症とリウマチの既往があり、数年病院に通院できていない。「行政の世話になるほど困っていない」と、端から提案を突っぱねたが、訪問診療だけは受け入れた。 
 じめじめした日が続いた6月のはじめ、相手にされないもどかしさに、八巻保健師に同伴訪問をお願いした。ムッとした部屋に尿臭が漂う。木製のベッドの脇に何やら白い物体が何匹も黙々と這っている。畳は更に歪んでいる。思わず2人で恐る恐る、何枚も重なった綿入り布団を静かにめくった。「あっ」平静を装ったが、小さい声が漏れた。綿入り布団の間に、見事なカブツを持った白いきのこが生えていた。ばあちゃんの下半身は濡れ、貧弱に伸びた足は冷え切っていた。そして、ばあちゃんの仙骨部から黄色い浸出液が出ていた。
 役場からベッドを調達し、エアーマットを敷き、ばあちゃんをベッドに移した。古いマットレスを処分しようと傾けると、吸収できなかった尿がマットの端からポタポタと滴り落ちた。ちょうど引っ越しで不要となった畳を職員からもらい受け、3畳分だけ入れ替えた。畳の腐敗は、立位でしかできない排泄による汚染が原因だった。
 あれから5年、相変わらずばあちゃんと2歳違いの妹が寝起きしていた小座敷は、西側の暗い場所にある。日当たりが悪く湿っぽい。大きな屋敷なのに、2人が暮らしていた場所は4畳半。昔のタンスに鉄の取っ手はなく、黒ずんだ麻ひもがついている。弱々しい小さな電器ストーブが1台と村から借りたベッド、ナーセントトイレが並んでいる。その横に座布団位が敷ける狭いスペースがある。ここに妹が小さくなって寝ているのだろう。
 ナーセントトイレの下に、幾重にも新聞紙が重なって湿っている。すでに畳もふやけている。黒ずんだ新聞紙には5年前の平成9年5月末の日付けが刻まれていた。この質素な部屋に、訪問看護婦は、完治が望めない仙骨部の褥そう処置と、お湯持参の清潔援助に繁く通い続け、若い医師たちも嫌な顔ひとつせず、今も訪問し続けてくれている。
 湿気った布団を捨て、畳を持ち上げて庭干し、生物の残骸を掃除し、新しい新聞紙を敷き詰めた。日付は平成14年。この先何年後にこの新聞が処分されるのだろうと思いをめぐらせ、すべての部屋を同じ手順で作業を続けた。気がついた時には、すでに4トントラックは山積みになっていた。(続)