佐久総合病院ニュースアーカイブス  






 やちほの家の4畳半の部屋は、日当たりが良い。91歳まで1人で暮らしていたこの家のばあちゃんは、背中が丸まった小柄な人だった。ばあちゃんは、南向きのこの部屋のガラス窓からよく外を眺めていた。ここから見聞きする四季折々の音や景色が、亡きばあちゃんの視線と重なる。
 開所してまもなく、毎日大勢の人の出入りに怖じけづいたのか、すでに鼠たちは一匹も残らず退散した。今日も居間には、大量の洗濯物から良い香りが漂い、お勝手には昨日、お年寄りたちがすり鉢ですってくれた「いくさ」が、香ばしい匂いを放っている。3月も半ばお彼岸である。
 事ある毎に息子さん夫婦がおっしゃる、「大勢の人に、この家を利用してもらって、家が生き返ったよ。人好きだったおばあちゃんが一番喜んでいるよ」と。ばあちゃんが、今でもこの4畳半の窓際でにこにこしながら、「さぁさぁお寄りなんし」と人を招き入れているような気がした。
 今や、家を守ってきたお年寄りたちが逝ってから、生まれ変わる家は少ない。玄関は閉ざされ、草が生い茂り、人の足は遠のく。せいぜい、野生化した猫が餌を求めてうろついたと思われる足跡がかろうじて残っている程度である。
 すでに空き家になっている名物ばあちゃんには苦労した。坂を登り切ると、坂道に沿って民家が密集している。道には母親の足にしがみついている小さな瞳と、黄色いカバンを背負った保育園児たちが、追いかけっこをしている。バスが去り、各々モダンな家へ散っていく姿を横目に、ばあちゃんの庭先に車を入れ込む。すると一瞬、昭和初期へタイムスリップした気分になる。
 ばあちゃんは、二つ年下の妹と2人で暮らしている。古びたヨレヨレの雨戸は、日常的に閉ざされ、そのうちの1枚が障子戸になっている。何年懲りずに、ここへ足を運んだだろうか。いかにも、人を寄せ付けようとしない、ばあちゃんの猜疑心を持った目つきが、閉め切った雨戸をもっと重くし、憂鬱な気分にさせるのである。
 ばあちゃんの褥そうが悪化して入院になったのは3回目である。今回も奇跡的な復活を遂げた。日常的な不衛生と、栄養失調の蓄積からの離脱は、確実にばあちゃんの体を強くしてくれる。早めの入院を勧めても、相当ひどくなるまで、人の手を受け入れない根性がばあちゃんの特徴だった。入院は決まって半年に及んだ。しかも今回は、妹とのダブル入院であった。
 認知症が進んだ妹は、知る限り姉に意見をしない。姉が頭でコントロールし、妹が体で従う長年の姉妹関係のもとに生活があった。姉の入院で、徘徊と健康障害が出現し、在宅が困難になったのである。
 数分後に四トントラックと軽自動車が到着した。渋い雨戸が複数の手で開けられ、真っ暗な部屋に光が差し込んだ。鼻を突くツンとした排泄物の臭い。歩くたびにきしむ畳の音。靴の下から感じる湿り気。仏壇のご先祖様はどれも方向性を失って倒され落ちている。いつ取り入れた物なのか、あずきと米の袋が食いちぎられ、散乱している。逃げ切れないすすわたりが、何本も光の線を作っている。数日後には、ばあちゃんが半年ぶりに帰ってくる。