佐久病院の歩み

佐久総合病院の沿革

1944年~1963年

主 な 出 来 事
昭和19年
(1944年)
01月 病院開設
昭和20年
(1945年)
02月
03月
11月
12月
本館治療棟落成  
若月俊一先生、外科医長として赴任
劇団部結成。「白衣の人びと」を初演
出張診療活動をはじめる
昭和21年
(1946年)
02月
10月
従業員組合結成大会 初代組合長に若月先生が選出される
若月先生、院長に就任
昭和22年
(1947年)
05月
08月
10月
第1回「病院まつり」を開く  
第1回長野県農村医学研究会を佐久病院で開催  
戦後国内ではじめての病院患者給食をはじめる
昭和23年
(1948年)
04月 インターン指定病院となる
昭和24年
(1949年)
12月 第1病棟焼失、ただちに復興に着手する
昭和25年
(1950年)
02月
08月
10月
若月先生、脊椎カリエスに対する新脊椎固定術を発表  
農工利連解散。長野県厚生農業協同組合連合会(厚生連)発足
G.H.Q.指令に基く「レッドパージ」により、病院幹部追放の危機をむかえるも、地域住民の支持(反対署名45,000名)を得て無事解決する
昭和26年
(1951年)
03月 伝染病棟の落成
昭和27年
(1952年)
07月 第1回日本農村医学会総会を長野市で開催。若月院長初代会長となる
昭和28年
(1953年)
10月 若月院長の著書「健康な村」(岩波書店)が発刊される
昭和29年
(1954年)
09月 小海村診療所(小海町診療所)新設。初代所長に船崎善三郎先生就任
昭和30年
(1955年)
05月
07月
10月
医療法による「総合病院」の名称が承認される
「冷え」の研究により農林省より補助金を受ける
若月院長「農夫症」の研究を発表する
昭和31年
(1956年)
10月 第5回日本農村医学会総会にて若月院長「日本農村医学会賞」を受賞
昭和32年
(1957年)
04月
05月
神経科病棟・附属作業場・カリエス病棟落成
従組機関誌「佐久病院」第1号発刊
昭和33年
(1958年)
03月 国保の窓口徴収反対で医師会、地方自治体と共同闘争
昭和34年
(1959年)
06月 八千穂村全村健康管理始まる
昭和35年
(1960年)
04月
09月
小諸分院開設。分院長に飯島貞司先生就任
佐久総合病院附属高等看護学院開校
昭和36年
(1961年)
08月 第1回農村医学夏季大学講座開講
昭和37年
(1962年)
06月
11月
佐久病院式農民体操の実験を八千穂村大石部落で始める
若月院長、信濃毎日新聞文化賞受賞
昭和38年
(1963年)
01月 長野県農村医学研究所、佐久病院に併設

1964年~1983年

主 な 出 来 事
昭和39年
(1964年)
01月
04月
10月
成人病センター完成
若月院長、農林大臣賞受賞
第13回日本農村医学会総会、若月院長を会長として長野県戸倉町で開催
昭和40年
(1965年)
11月 第7回農民の健康会議(東京)で農薬中毒研究が全国的な注目をあびる
昭和41年
(1966年)
11月 日本農村医学研究所に動物実験室が完成し、サルによる農薬中毒実験が始まる
昭和42年
(1967年)
02月
11月
病院新増築第1期工事完成(地上7階、地下1階)。ひきつづいて第2期工事はじまる
船崎先生、ベトナムにおけるアメリカの戦争犯罪調査のため、日本委員会派遣の調査団長として北ベトナムにおもむき、さらに「東京法廷」と「国際法廷」(コペンハーゲン)に証人として出席
昭和43年
(1968年)
05月
07月
病院新増築第2期工事完成
臨床研修病院に指定される
昭和44年
(1969年)
05月
10月
財団法人日本農村医学研究所附属施設「農村医学研修センター」完成
第4回国際農村医学会議(若月学会長、船崎全国実行委員長)に、26国、600人が参加し佐久病院で開かれる
昭和45年
(1970年)
04月
12月
小諸分院独立
船崎執行委員長、第4次ベトナム調査団長としてベトナム民主共和国におもむき、2,4,5-Tによる催奇形の実態を調査する
昭和46年
(1971年)
08月 若月院長「村で病気とたたかう」(岩波新書)「農村医学」(勁草書房)を出版
昭和47年
(1972年)
01月 若月院長、昭和46年度朝日賞(社会奉仕賞)を受賞
昭和48年
(1973年)
10月
10月
長野県厚生連健康管理センター開設
第1回アジア農村医学会議を佐久病院で開催
昭和49年
(1974年)
11月
12月
佐久総合病院創立30周年を迎え記念行事開催される
精神神経科東病棟増改築工事完成
昭和50年
(1975年)
03月

12月
佐久総合病院創立30周年記念行事が行われる。機関誌「佐久病院」第2号、写真集「30年のあゆみ」を発刊、映画「農民とともに30年」を製作する
農協全国組織が中心となり農村に働く医師をはじめ医療技術者の卒後教育のための、財団法人「全国農村保健研修センター」の許可がきまる(52年開講)
昭和51年
(1976年)
08月
12月
若月院長、「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞受賞
全国農村保健研修センターの起工式行われる
昭和52年
(1977年)
11月 全国農村保健研修センターの教育事業はじまる
昭和53年
(1978年)
02月
06月
全身用コンピューター断層撮影装置「CTスキャナー」使用開始
読売新聞社主催シンポジウム「救急医療を考える」(若月院長総合司会)により、地域消防署員の医学教育の道をひらく
昭和54年
(1979年)
08月
09月
第1病棟(結核病棟)をとり壊し、成人病棟の増築工事がはじまる
健康管理センターに、県及び共済連より補助金を得て、20チャンネルオートアナライザーSMACを導入する
昭和55年
(1980年)
02月
04月
10月
成人病棟(成人病強化治療病棟・臨床病理部ほか)完成する
若月院長、日本病院会副会長に選出される
野球部「栃の葉国体」に出場し、軟式野球成年の部で準優勝する
昭和56年
(1981年)
04月 南佐久へき地医療運営委員会の発足とともに南部三ヵ村(南牧村・南相木村・北相木村)の診療が、当病院によって開始される(北相木村は53年から実施)
若月院長、農村医学の発展と地域医療実践の功績により勲二等旭日重光章を受ける
昭和57年
(1982年)
10月
12月
野球部、第37回国民体育大会軟式野球成年の部に長野県代表として出場し初優勝
成人病棟4階に50床の病棟が完成し佐久総合病院の総病床数1,003床になる
昭和58年
(1983年)
03月
10月
佐久総合病院がん診療センター・長野県厚生連健康管理センターが完成
佐久総合病院が「救命救急センター」として国・県より指定され、オープン
第38回国民体育大会で野球部が軟式野球成年の部に優勝V2を達成する
長野県厚生連健康管理センターの「開設10周年記念式典」が行われる

1984年~2003年

主 な 出 来 事
昭和59年
(1984年)
09月
12月
天皇賜杯第39回全日本軟式野球大会(福井市)で野球部が初優勝
地域の要望に応えて、モデル的人間ドック棟(20棟)を完成
昭和60年
(1985年)
08月 若月院長が第1回スモン基金賞を受賞する(農村医学の確立、有機水銀有機塩素系農薬の使用禁止に貢献)
天皇賜杯第40回全日本軟式野球大会(熊本市)で、野球部が2連覇する(大会史上3チーム目)
昭和61年
(1986年)
05月 第40回病院祭において『NHKドラマ「いのち」と農村医療』『全国のモデルとして、佐久に老人保健施設を』などのテーマをとりあげ、反響を呼ぶ
昭和62年
(1987年)
05月
07月
総合手術棟・救命救急センター(20床)が完成
国のモデル事業に指定された「老人保健施設」(農村地域の病院併設型・30床)が開所
昭和63年
(1988年)
06月
07月
川上武著「農村医療からメディコポリス構想へ―若月俊一の精神史」が勁草書房より出版される
佐久東洋医学研究所(所長・若月院長)を開設する
平成元年
(1989年)
01月

06月
霜田哲夫内科医長(ペンネーム・南木佳士)が小説「ダイヤモンド・ダスト」で第 100回 芥川賞を受賞し、5月に長野県知事賞を受ける。
老人保健施設が30床から94床に増床。老人ケアに全国より視察者が殺到する
平成2年
(1990年)
08月
09月

11月
船崎善三郎副院長が特発性間質性肺炎のため8月2日逝去され、病院葬が行われる
衆議院・社会労働委員会一行16名が高齢化問題研究のために来院し老人保健施設や健康管理センターを視察する
若月院長が「農村医学の開拓・確立並びに包括医療の推進に貢献した功績」により「日本医師会最高優功賞」を受賞する
平成3年
(1991年)
01月

05月
佐久総合病院在宅ケア実行委員会の活動を記録した映画「病院はきらいだ」(岩波映画製作所)が完成する
平成4年度からの看護専門学校第一科の定員増(50~80人)にともない、校舎棟、寄宿舎の増改築起工式が行われる
平成4年
(1992年)
04月
07月
看護専門学校の定員増に伴い、校舎・寮増築工事が、県の補助を受けて完了する
元・厚生省医務局長大谷藤郎氏の提案により、若月院長の永年にわたる地域医療での実践活動を記念して、「若月賞」が制定され、第1回授賞式が農村医学夏季大学講座で行われる
平成5年
(1993年)
07月

10月

11月
とくに若い医師たちの勉強会として「プライマリー・ヘルスケア研究会」が発足し、これからの佐久総合病院の展望について討論が行われる
長野県厚生連「健康管理センター」の開設20周年を迎え、中国農村衛生協会副会長・張自寛氏等各界から来賓を招き、記念式典を行う
長野県厚生連の会務規程が改訂され、佐久総合病院「総長」に若月院長が、「副総長」に佐々木副院長が就任する
人間ドック(1泊2日)の受診者の大幅増加にともない、人間ドック棟増築工事の起工式を行う
平成6年
(1994年)
01月
05月
06月

09月
松島松翠院長、清水茂文・夏川周介両副院長ほか、新体制がスタートする
「佐久病院50年のあゆみ」をメインテーマに第48回病院祭が開催される
ドック棟増床の要望に応え増築工事(25床)が完了し竣工式が行われる
国の医薬分業の方針にもとづき、院外処方せんの発行を開始する
小海診療所が開設40周年を迎え記念式典と祝賀会が行われる
「地域医療部」が設立され、厚生連の規定も整備される
野球部が第49回国民体育大会(愛知)に出場し、第5位入賞を果たす
平成7年
(1995年)
01月
04月

通年
阪神大震災による被災者の医療活動に救護班を編成し派遣(3月まで)
「うすだ在宅介護支援センタ」「訪問看護ステーションうすだ」「東洋医学研究所」などを含む建物が構内に完成する
佐久病院を主な舞台とした映画「農民とともに」の上映会が全国各地で開催される
平成8年
(1996年)
05月
08月
「病院祭」が50回目を迎え、観覧者は2日間で1万6千人を越える
「救急救命センター」「新外来棟」増築工事が着手される
平成9年
(1997年)
01月
05月
07月
09月
地域災害医療センター(災害拠点病院)に指定される
総合外来が新外来棟の1階に新設され、診察を開始する
「老人保健施設」が開設10周年を迎え記念式典が行われる
若月先生、第13回国際農村医学会で国際農村医学会事務総長を勇退
平成10年
(1998年)
03月
04月
05月
09月
災害拠点病院の整備として、東日本の病院で初の非公共用ヘリポートが完成
若月総長が退職し名誉総長に就任する。
南病棟50床(内エイズ拠点病院としての個室5室)が完成する
療養型病床群(40床)が成人病棟3階に設置となる
交通事故を想定した多人数傷病者受入(トリアージ)訓練を初の試みとして実施
平成11年
(1999年)

03月

04月

05月
07月
10月

11月

長期構想プロジェクト委員会による、佐久病院長期構想「地域の中へ」がまとまり、新しい基本理念と5つの行動目標が定められる
松島松翠先生が院長を退任し名誉院長に就任し、清水茂文副院長が院長に就任する
日帰り手術センターが設置され、日帰り・短期入院手術が開始される
川上武先生をはじめとする院外の執筆者による「佐久病院史」が発刊される
地域の医療機関、開業医との連携窓口として、地域医療連携室が設置される
(財)日本機能医療評価機構による病院機能評価を受審する
外来棟リニューアルの第3期工事が完了し、外来棟増改築が完成
平成12年
(2000年)
02月
05月

09月
10月
小海診療所がJR小海駅舎内に移転する
ハンガリー・ペーチ市において第14回国際農村医学会議が開催され、松島名誉院長が副会長に、清水院長が理事に就任する
看護専門学校が創立40周年を迎え、記念誌の発行と式典が行われる
「総合診療科」が発足し、「総合診療後期研修制度」が設置される
平成13年
(2001年)
04月

10月

11月
慢性期の精神障害者及び痴呆患者さんを治療する施設「美里分院」(120床)が落成
旧小海診療所跡地に「老人保健施設こうみ」が新築完成
エイズ拠点病院の機能評価を受審する
野球部が7年ぶりに「みやぎ秋期国体」に出場する
第50回白樺会、第40回無胃会が開催され、記念誌の発行と式典が行われる
平成15年
(2003年)
01月

04月
06月
07月
NHK総合TV番組「プロジェクトX」において「医師たちは走った」が放送され、佐久病院の永年に渡る健康管理活動が紹介される
小海赤十字病院の閉院にともない、地元の要望を受け小海分院(100床)を開院
若月俊一名誉総長が第10回信毎賞特別賞を受賞
若月俊一名誉総長著「村で病気とたたかう」の英語版が発刊

 

2004年~

 

主 な 出 来 事
平成17年
(2005年)
 7月 南部5カ町村とJA長野八ヶ岳の支援を受け「新・小海分院」が開設される
県・国の補助を受け、県下初の「信州ドクターヘリ」の運航が開始される
平成18年
(2006年)

 4月 DPC導入

 8月 若月俊一名誉総長死去(96歳)

 8月 外来化学療法の療養環境改善のために通院治療センターが新設される
 

平成19年
(2007年)

 6月 急性期病床で最も手厚い看護配置となる7対1看護基準を実施する。

 7月 新潟県中越沖地震の発生に伴い、佐久総合病院の災害派遣医療チーム(DMAT)が震源地付近へ出動する。 

平成20年
(2008年)

 4月 働きやすい病院づくりの一環として院内保育所で「病児病後児保育」と「24時間保育」を開始。「育児のための短時間勤務制度」も整備。

 8月JA長野厚生連、長野県、佐久市の支援を受け、4月より開校した佐久市初の4年制大学である佐久大学の基礎看護実習受け入れが開始。

 10月 小海分院・小海診療所・老健こうみと小海町、JA長野八ヶ岳の共済による第一回こうみ ふれ愛秋祭り(病院祭)が開催される。

 10月 佐久総合病院、佐久保健所の主催による新型インフルエンザ対策訓練が、全国で初めて厚生労働省と連携して当院で行われる。

平成21年

 4月 佐久総合病院を幹事病院として医師の初期臨床研修の質の向上を目的に「第27回臨床研修研究会」が東京で開催される。

 4月佐久総合病院の再構築を機に職員や地域住民からの提起、意見誌として『季刊 佐久病院』が創刊される。
 11月 (財)日本医療機能評価機構による病院機能評価ver.6を受審。

 通年 長野県、佐久市、JA長野厚生連の三者協議により佐久総合病院再構築に関する知事裁定が合意される。

平成22年
(2010年)

 7月 農村医学夏季大学講座が50周年を迎える。

 9月 佐久総合病院が幹事として診療管理学会が開催される。

 通年 故・若月俊一名誉総長の生誕100年を記念する「若月イヤー」の中で様々な催しが行われる。

平成23年
(2011年)

 3月 東日本大震災が起きる。直後から6月下旬まで被災地へ職員を派遣し医療救護にあたる。

 4月 佐久総合病院の最初の患者会となる白樺会が60回を迎え閉会となる。

 6月 故・若月俊一名誉総長の生誕100年を記念する「若月イヤー」の中で様々な催しが行われる。

 11月 患者会「無胃会」が50回目の総会を開催する。

 12月 佐久医療センター新築工事の起工式が行われる。
 

平成24年
(2012年)

 1月 診療情報共有と地域医療連携ネットワーク構築を導入目的とし、1月30日から電子カルテシステムが稼動する。

 4月 厚生労働省モデル事業である「在宅医療連携拠点事業」に採択される。

 6月 「植込型補助人工心臓関連学会協議会」により実施施設に認定され、県内初となる植え込み型補助人工心臓の手術が成功。

 9月 320列CTの最新機種が導入される。これにより、心臓冠動脈の検査など幅広い検査が行えるようになる。

 通年
・2月の整地・根切、3月の樹木の移植を皮切りに、佐久医療センターの新築工事が始まる。
  ・4月からは基礎工事が始まり、9月には免震装置見学会、11月にはモデルルームがオープンするなど、平成2014年3月1日の開院に向け順調に工事を進めている。
・本院再構築については、基本設計に向け、ゾーニングの検討が進む。
 

平成25年
(2013年)

 3月 佐久医療センター上棟式が3月24日に執り行われ、1,000名を超す地域住民や職員、家族が来場。ごち餅まきなどが行われ工事の安全を祈願した。

 3月 精神科の再編にともない美里分院が本院に移転し、3月31日をもって閉院となる。精神科は本院に集約され4月1日に本院の精神科病棟が再稼動した。

 4月 夏川統括院長が退任。当院ならびにJA長野厚生連への多大な貢献により、佐久総合病院名誉院長の称号が与えられる。新たに伊澤院長が統括院長に就任する。

 4月 国際保健医療活動を組織的かつ継続的に支援・実施する組織として国際保健委員会が発足する。

 7月 佐久総合病院として6カ所目となる訪問看護ステーションひらねがJA佐久浅間の協力により開所する。

 8月 佐久市平根地区の訪問看護を担い、併せて健康・介護相談など住民が気軽に立ち寄れる場所として「まちの保健室」事業を開始する。

 9月 農林水産省補助事業の食のモデル地域育成事業において、農村医学研究所を中心とした佐久市有機農業研究協議会が、「食のモデル地域構築計画」の認定を受ける。

 12月 昭和62年に全国のモデル事業として開所した佐久総合病院老人保健施設が旧美里分院へ移転する。これにより、従来の病院併設型から独立型へ変更になり新たなサービス展開が期待される。

 12月 小海分院の電子カルテシステムが更新され、佐久病院グループ全体での診療情報の共有化と地域医療連携強化への第一歩となるシステム統合が実現する。
 

平成26年
(2014年)

  2月 佐久医療センター 神事・竣工式が行われる。

 3月 佐久医療センター 開院

  4月 「訪問看護ステーションわかば」が開所。365日、24時間体制で地域で暮らす精神科訪問看護登録患者さんへの対応が可能となった。

 9月 御嶽山が噴火。当院からドクターヘリで統括DMATおよび、2隊のDMAT(医師2名、看護師2名、業務調査員2名)を派遣し災害医療活動に当たる。

 9月 野球部が天皇賜杯第69回全日本軟式野球大会に長野県を代表して4年連続出場。昭和59年・60年の2連覇以来の快挙となる全国第3位。

 10月 「佐久医療センターいきいきの森秋祭り」開催。地域住民と職員により350本の苗木が植樹される。

 11月 長野県神城断層地震発生。DMAT(医師1名、看護師2名、業務調整員1名)を派遣、県庁の調整本部で役割を果たした。

 11月 地域包括ケア病棟開設 

平成27年
(2015年)

  1月 本院増築第2期工事開始にあたり、安全祈願祭・起工式典が行われる

 4月 本院が財団法人日本医療機能評価機構による病院機能評価(3rdG:Ver1.0)の更新認定を受ける

 5月 フィリピン大学マニラ校・レイテ島分校と人材交流の覚書(MOU)を締結

 6月 佐久医療センターが地域医療支援病の指定を受ける

 6月 県下初、佐久医療センターが経カテーテル的大動脈弁置換術認定施設に登録され、初症例が実施される

 12月 本院 リハビリテーション総合支援センター開設

平成28年
(2016年)

  2月 佐久広域連合消防本部から佐久医療センターに救急車が譲渡される

 9月 救命救急センター長・岡田 邦彦、救急功労者表彰総務大臣表彰受賞
産婦人科副部長・仲井 育子、産科医療功労者厚生労働大臣表彰

  

 

 

平成29年
(2017年)

 3月 佐久総合病院(本院) 北病棟竣工

 3月 佐久医療センター 公益財団法人日本医療機能評価機構による病院機能評価(3rdG:Ver.1.1)の認定を受ける 

平成31年・
令和元年
(2019年)

 3月 本院増築第2期工事が完了に伴い、佐久総合病院佐久構築事業が完了。