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 そもそも私が「看護師さん」になりたいと思ったのは小学生のときで、その夢を叶えようと進学してきました。高校のときにテレビで救命救急センターの密着取材の番組を観て、ただ「かっこいい」というイメージだけで、救急の現場で働きたいと思うようになりました。
 当院へ就職時、その旨を当時の看護部長に伝えると、「じゃあICUね!」て?ICUに配属され、厳しいトレーニングをうけました。右を向いても左を向いても厳しい先輩が目を光らせている状況に、出勤拒否しょうがと思いはしましたが、不思議と辞めたいと思ったことはありませんでした。反面、やっぱり向いていないがも・・・という思いもありました。同期の先輩の影響もあり、「呼吸」に興味を持ち、資格も取り、この方向でがんばっていこうと思った矢先にフライトナースの話が挙がりました。(その後「呼吸」ケアの方も細々と続けてはいます・・・) 当時、ドクターヘリについてほとんど知らず、フライトナースのイメージも漠然としており、鈍くさい私には無理な仕事ではないがと、ためらう気持ちが大部分を占めていました。一方で、救急を目指していた自分を試してみたいとの思いもあり、希望しました。
 救急・初期治療の経験がなく、実際には救急現場で看護師としてどう動いていけばいいかよくつかめない状態で運航開始を迎えましたが、さまざまなことを経験してきました。ドクターヘリでは傷病者の方がきわめて重篤な状態の場合には、病院へ着いた後すぐに検査や手術を受けられるように、また、残念ながら救命できなかったときに、できるだけ長く最期のときを一緒に過ごしてもらえるよう、そのご家族もヘリに同乗してもらうことがあります。
 ある農業機械の事故で出動したときに、ご家族に「ヘリに乗りたくない、後から来るまで行きますから」と断られたことがあります。その現場から車で1時間以上かけて来院されるご家族を待っていたら、患者様の生命がどのようになるのが分からない、と判断した私は、それまでの知識のすべてを動員して必死に話し、なんとか同乗していただいた、ということがありました。危機的状況にある患者様・家族の対応の難しさを思い知らされた経験であり、強く印象に残っています。
 資料によると、私の出動回数は100回を超えているようですが、毎回出動後、あのときはああしたほうがよがったのではと、帰投時のヘリの中で「一人脳内大反省会」の日々です。ときには他のメンバーや、ドクターからアドバイスをもらったり、意見交換したりしてい

薄暮の救急トップデッキにランディングする JA6911/MD902改
ブームを延長し直進安定性を図る テールローターを持たないため
後方からアプローチし易い またノーター機は低騒音機でもある
ます。現場では看護師は1人であり、因っても迷っても看護師として頼るのは自分自身であり、重圧に耐え切れなくなりそうになりますが、帰ってくれば、経験を共有できる頼もしいドクターへリスタッフと、どんなに忙しくても、「おかえり。お疲れさま」と温かく声を掛けてくれるICUスタッフ、ふつつかな嫁に文句も言わずサポートしてくれる家族に支えられ、今日までやってこれたのだろうと感じています。
 マンパワーも最小限、スペースや時間も限られており、その中で生命の危機が迫っている傷病者の方をいかにして安定化させるが、また、少しでも不安を軽減させられるか、そういう初期治療などの勉強ももちろん進めていかなければなりませんが、それだけではなく、その一方で病棟での看護をもっと大事にしたいと思うようになりました。看護師として現場にいる意味を考えると、やはり、コミュニケーション能力が重要になってくるのではないかと思います。それを高めていくには、出動の経験を重ねていくことにあるのでしょうが、数としてはそれほど多く経験できるわけではなく、むしろ、日々の病棟での看護、患者様・ご家族との関わりが大事だと感じています。経験を積み、バランスの取れた看護師、フライトナースになれるよう、これからもがんばっていきたいと思います。


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